一口に占いと言っても、中身(診断の手法のことではない)は大まかに2つに別れると思う。その1つはいわゆる「性格判断」というものだ、「○型のあなたは・・・」という書き出しで始まっていることが多い。初めて会った人に血液型や星座を聞いて、相性を占うのはこの診断内容によるものである。人間が4つや12のパターンにそう易々と分類できるものかと不思議でたまらない。また、診断内容には冷静に考えればどちらとも判断がつかないようなことが書いてある。「人に頼まれると嫌と言えない性格」というのは、性格云々よりも頼んでくる相手によって違うものだ。「好きなことには積極的で・・・」、当たり前のことである。正確な尺度がないのを良いことに誰もが持ち合わせている二律背反の性格の片方でも表現すれば、「当たっている」と思わせるのはそれほど難しいことではない。その証拠に、試しに自分以外の診断内容を読んでも、当てはまることが少なからずあるはずだ。

 そして、占いのもう1つの側面は運勢と言うもので、雑誌やテレビで紹介されている「○○座の今週(今日)の運勢」というやつである。けど、これもどうでも良いようなコメントが紹介されていたりする。「約束の時間を守らないとトラブルに巻き込まれるかも」、「風邪をひきやすいので気をつけましょう」。こんなものは星座や血液型に関係なく、小学校の「今月の目標」と同レベルのことでしかない。さすがに、「食事の前には手を洗いましょう」というのはないが。

 このように、占いとは誰にでも都合の良いことを並べているだけの様な気がする。占いが当たると思っているのは客だけで、占い師は結構冷静かもしれない。占い師が未来を予知できるのなら、街角で易料を巻き上げるよりは競馬や株で簡単に財をなせるはずである。悩みを持った人々は占いで物足りなくなると今度は宗教に走るのだろうか?。詐欺まがいの御布施を商工ローンで借金して工面している人がいたとすると、この世には神も仏もあったもんじゃない。どうしてこうも占いが流行っているかという原因は、自分で決断することから逃げ、「他人に決めてもらいたい」という気持ちかもしれない。そんな人には私が決めてあげよう。「幸運のキーワードは『秀コラム』」と。