第1808話 ■マルクス主義的入社式の考察

 今日が入社式の会社が相当あったはずだ。電車の中でも新入社員らしい団体に遭遇した。大学卒では平成生まれがデビューする年である。世間的にはめでたい入社式であるが、これをマルクス経済学的に解説すると、それは賃金労働者誕生式となる。何とも夢のない話で、新入社員にはそんな意識など全く無いに違いない。ただただ無事に正規雇用の社員となったことで、ある種の満足感を得ていることだろう。かく言う私も、大学でマルクス経済学を相当学んでいながら、自分の就職した際に、「俺もこれで賃金労働者になった」、なんてことは思ってもみなかった。

 初任給とは新入社員が初めてもらう給料のことだが、これをマルクス経済学的に言えば、生涯賃金グラフの切片となる。数学で習った一次関数のグラフの切片である。理屈の上でこの表現は、私が大学にいる頃は正しかった。しかし、今となってはこれは正しくない。何故なら、賃金が右肩上がりで上昇していく時代ではなくなったからだ。

 かつて経営学の講座では「日本的経営」という概念がはびこっていた。今ではもう遺跡でしかない。年功賃金や終身雇用は既に過去のものとなった。昨今、非正規雇用者が増えている理由は、企業の競争相手がグローバル化したことで説明ができる。商品の売り込み先がグローバル化するということは、現地の物価や価値観の影響を受けるということで、企業は国際競争力を付けるには製造や販売のコストを抑える必要が出てきて、それが労働力市場にも大きく影響を与えるわけだ。たとえグローバル化が関係ない企業や商店があったとしても、賃金相場として必ずその影響を受ける。

 仮に大学で経済学を学んでいたにしても、自分が賃金労働者になったなんて思っていない人が多いに違いない。しかし、多少良い会社に就職しようと、多少給料が高くても、賃金労働者であることには変わりない。とりわけ時間給労働者の状態で収入が飛躍的に増えることはない(確かに入社時の状態からは増えるだろうが、それがリタイア時まで続くことはおそらくない)。所詮は労働者階級に組み込まれたことに過ぎない。例え運良く取締役や社長にまで出世できたにしても、雇われの身ではやはり労働者と変わらない。寅さんが映画の中で裏の印刷工場の印刷工に向かって呼びかける、「労働者諸君」の労働者である。汚れようと汚れまいと変わらない。ブルーカラーであると、ホワイトカラーであろうと賃金労働者であることには変わらない。

 会社は誰のものか?。社長のものでなければ、従業員のものでもない。株主(社長がその場合もあるが)のものだ。知識として知っていることと、その環境に身を置いて感じている状態では意識が全く違う。就職することを目的に多大なるエネルギーを費やしてせっかく勝ち取った正規雇用での就職でも、喜んでばかりではいられない。労働や資本という側面から見た社会構造の実態はこうである。知見を広めることが何よりも重要だと、先輩の一人として申し上げたい。

(秀)