やはりコタツは良い。冬はやはり炬燵が最高に気持ち良いのだ。書斎にはそこそこのスペックのデスクトップのマシンがありながらも非力なノートPCをコタツに持ち込み、原稿を書いている。日本でノートPCが歓迎されるのは、書斎がない、机がない、といった住宅事情よりもコタツでパソコンを使いたいからではないかと勘ぐってしまう。夏に気温とビールの消費が関係あるように、各家庭でコタツを出すタイミングとノートPCの売れ行きに何らかの相関関係があれば私の仮説は証明されることだろうが、あまりにも下衆な仮説のため、先進的なパソコンのマーケティングにはあまり馴染まないようだ。

 家電品は季節感があるものとそうでないもの(当たり前)とに分類できる。コタツにストーブ、クーラーに扇風機が前者の代表例だ。一方、テレビにビデオ、炊飯器に洗濯機が後者の代表例だ。生き物のリズムというものは日単位、次いで年単位と言える。これは天体の動きという、極めて自然的なリズムだ。それに対して、週や月という単位は極めて社会的、人間的なもので、生物の生理としてではなく人間のみが持ち合わせた、社会的慣習(代表例は宗教)に基づいたものと言える。

 ここで、家電品と時間単位の相関を考えてみよう。すると、季節感のないものは毎日使うもの。季節感のあるものは年単位で出したりしまったりするものと判断される。いずれにせよ基本は日単位である。家電品とは極めて人工的なものだが、その人工的な時間単位である、週単位や月単位で使用するものがないことに改めて気がつく(休日にまとめて洗濯・掃除を行う人を除く)。かろうじてテレビのコンテンツ(番組)が週単位ということだが、それとは関係なく、毎日テレビは点けられる。

 毎日あるいは毎年、何気なく使用されている家電品が動物的時間単位を考えて作り出されたものとは思わないが、結果として生活のリズムと合致し、生活に取り入れられて使用されているわけだ。それはこれまでの生活で必要な道具を電子化したにすぎないため、これらの受け入れは比較的容易だったかもしれない。それに対し、パソコンはこれまで生活の道具としては存在していないもののため、日常生活に受け入れられるに困難が伴う。パソコンが家庭で使用されるには、何らかの日常生活の道具の電子化というスタイルを取るのが最も有効だろう。比較的新しい電話やテレビは昔から存在するコミュニケーションメディアの電子化と考えられる。パソコンもその延長上にあると考えると、次世代の家庭用パソコンの姿が見えてくるかもしれない。できればそのパソコンも、冬にはコタツで使いたいものだ。