中学校で習った、数学の話を思い出してみよう。私が習ったのは中1の3学期であったが、今はどうなのだろうか?。「代表値」という単元である。ある数字の母集団を代表する値の考え方である。平均値というのが考えの上では最も合理的かもしれないが、実際に平均値を求めることは簡単でない場合が多い。

 わざと、背の高い生徒に先生が尋ねる。「あなたは『背の高い人集まれ』と言われたら、集まりますか?」と。その生徒は「集まります」と答えた。先生は質問を変える。「あなたはクラスの身長の平均値を知っていますか?。どうして、高いと分かるのですか?」。「背の順で並んで後ろの方だからです」と、生徒は答えた。母集団のちょうど真ん中の数字をその母集団の代表値とするものである。この値のことをメジアンと言う。

 そして、もう一つの代表値として用いられるのがモードというものである。「自分が小遣いの値上げを親に要求する時、あなたはどう言いますか?。平均がいくらではなく、『誰でも○○円、もらっている』と言うでしょう」。先生はそう説明した。母集団の中で最も度数の多いものをその母集団の代表値とするのがモードである。

 ここまではあくまでも数学上の話。実生活では平均値よりもメジアンやモードを代表値として使用していることが多いことに気が付く。数学以外でも「誰でも○○」というのは日常的に使用している。しかし、この「誰でも○○」というのは結構厄介である。悪いことも横並び、善悪の判断が希薄化してしまい、その言い訳に使われる。良いことの横並びなど残念ながら見たことも聞いたこともない。ガングロ、メッシュ、厚底靴。最初始めるときに彼女達は「みんなやってるから」と言ったに違いない。ブランド品に群がる、「みんな持っているから」という心理。本当に大多数がそうであるかの疑問の奥で、多数派が本当に正しいのか、という疑問もある。

 と、ここまで書いて「徳島河口堰住民投票」の結果を知らせるニュースが飛び込んできた。この話題にも触れたいので、このコラムは明日に続く。