私が就職した当時はバブルの絶頂期で、DCブランド大流行のご時世だった。就職するちょっと前にスーツでも見てみようと、何気なくそのような店に立寄ってしまった。ブランドの名前や詳細な所在地も今では覚えていない。なにしろ田舎なので品揃えも十分ではなかった。

 比較的大人しめのものを選んで試着してみた。確かに当時は大きめのものが流行っていたが、そのスーツは許容範囲を越えてでかかった。肩幅なんか吉川晃司みたいになってしまう。「これよりも小さいサイズないですか?」。問いかけると店員は、いかにもといった感じの作り笑顔で、「こういうブランドものは各1点ずつしか置いていませんし、そもそもサイズも1サイズです」と答えた。それだけでも買う気が萎えてしまったが、店員はなおも強力にアプローチして来る。

 小心者の私は、いや、きっと皆さんもそうだろうけど、試着して裾上げのピンをうってもらったからには、その服を買うだろう。まずは、裾を上げてピンをうってもらった。ウエストも5センチぐらいつまんでもらった。もちろん袖も長かったし、吉川晃司対策も行った。至る所がピンだらけになってしまった。「お直しはこのぐらいでしょうか」。鏡越しにあの笑顔で語って来る。鏡に映った姿のスーツはもはや原型をとどめていない。これを買ってしまうと、結局この服はデザイナーのオリジナルとは別のもので、内職かなんかのおばさんの感性でリフォームされた服になってしまう。わざわざ補正代まで払ってオリジナルのかけらのなくなったブランドの服に大枚をはたくのが惜しくなって、試着を着替えて店を出た。