来賓として、小学校の卒業式に参加して来た。自分の卒業式から21年振りであるが、小学校の卒業式の様子は場所や時間が変わっても、ほとんど変りないものだった。しかし、今となってみればちょっと引いてしまうものがある。「別れの言葉」と言われるものだ。送辞や答辞というものがなく、代わりに言葉の掛け合いや歌で構成されている、例の次第のことである。こんな感じの台詞が出てくる。「一生懸命頑張った運動会」、「楽しかった修学旅行」、「おいしかった給食」、「僕達、私達、卒業します」、「卒業します(全員)」。自分達もあんなことをやっていたかと思うと恥ずかしくなった。

 来賓というのも子供にとって胡散臭い存在であるが、一層輪を掛けて白けてしまうのが、形式だけの電報である。地元選出の国会議員や県会議員からの電報が読み上げられる度に「こんな電報、誰が喜ぶのだろうか?」と疑問が浮かぶ。一方、間抜けな祝辞もある。「記念すべき西暦2000年に卒業された・・・」というのは何の意味があるのだろうか。「21世紀はあなた方の時代です」というのも同様に無意味である。2000年卒業というだけでその後の人生にプラスになることなど何もない。21世紀であろうがいつであろうが、卒業生達に活躍の時代はやって来る。21世紀だからと言って特別なことなど何もない。

 21世紀、あるいは未来という言葉にただ単に夢を描いている人があまりにも多すぎる。手塚治虫氏が描いたあの未来都市が確かに21世紀のものであったとしても、2100年までは21世紀である。一年でいや一夜の違いで20世紀が21世紀になったところで、あの未来都市が突然現れるわけでもない。また、あのような未来都市に住んでいることが豊かで幸福な生活とは限らない。

 「未来はどこから来るか?」。私は今起きている事象の中で将来に対して影響を与えるものが未来を作り出すと思っている。もっと足を地につけて今を観察することが重要であろう。それでいて、「未来はあなた方の想像力の中にある」と祝辞を贈りたい。