「田舎は情報量が少ない」という話をよく聞く。当然のことで、否定する気など更々ない。かつてはそのような環境下で育ったので実感できてもいる。ところがそもそもの情報量の不足もさることながら、同じ情報が流されたとしても受け止める側の質によって、有効な情報となり得る比率が大きく違い、その作用によって情報量の差が拡大していると思う。

 こういうことである。ニュースとしては同じ内容のものがテレビから流れている。しかし、地方にいる人にとって、地下鉄サリン事件のような映像が流れても地理的なことがよく分からない。霞ヶ関を狙ったのに多くの人々が助けを求めている映像は「築地駅」のものであった。そもそも霞ヶ関がどのあたりかも分かっていない。彼らが知っている地名やランドマークは断片的なもので、それぞれの位置関係などは存在していない。正直なところ、どのくらいの路線があり、それぞれをどのくらいの人が利用しているかの予備知識もない。そもそも電車に乗りつけない人達のため、日常として捉えることができないのだ。彼らには近くのちょっとした交通事故の方が遥かに大事故である。

 所詮、情報は東京中心に東京至上主義の下発信されているため、わざわざ都内の地図を使って位置関係を説明したりしない。地方の新聞は全国版の記事となると通信社からの記事を買って掲載しているに過ぎない。社説には堂々と取るに足らないような、地方記事に関するテーマで論じている。こんな新聞を読まされていたんじゃ、同じニュースや情報を流されてもその価値を正当に判断できるわけがない。

 雑誌で紹介されている店情報のほとんどが役に立たない、「POPEYE」や「ホットドッグプレス」を買い続けていたが、その意味では、半分ぐらいの情報しか役に立っていなかったと言うことだろうか?。けど、その頃はそんなことにも気づいてもいなかった。