第1046話 ■ウォーター・ボーイズ

 今クールで私が一番気に入っているテレビドラマは「ウォーター・ボーイズ」である。かつて同名の映画があり、このドラマはその映画から2年後という設定で、舞台はそのまま引き継がれ、一部教師などはかつてのキャストのまま、ドラマにも続けて出演している。たった一人の水泳部員の妻夫木 聡が通う男子高校に一人の新任女教師(眞鍋かをり)が現れ、水泳部の顧問となる。彼女につられて水泳部の部員は増えたが、この女教師、水泳は水泳でも自分がかつてやっていたのはシンクロナイズド・スイミングで、この水泳部はシンクロ部となる。しかも彼女は既に人妻で、その直後に妊娠が発覚し、学校から消えてしまう。

 それでもその年の文化祭で彼らが見せた、男のシンクロは大盛況で、翌年にもそれは引き継がれ、さらにまた次の年を迎えた。ところが、前年のあまりもの盛況振りに多くの人が集まることでの様々な苦情や問題点から教育委員会が今回の文化祭でのシンクロ公演にストップを掛けてきた。ここからドラマは始まる。このことで水泳部(シンクロ部)の部員達は一人(こいつが主人公)を残して全員が辞めてしまう。しかし一方、かつてのシンクロ公演で感動を覚え、わざわざシンクロをやるためにやってきたC調な転校生にけしかけられ、シンクロ同好会としてこの逆境を乗り越え文化祭での公演の実現を目指しての活躍が始まった。

 同好会としての体裁を保つためにどうにか集まった5人であるが、中には最初カナヅチもいたり、練習するプールがなかったりと大変である。毎回様々な困難が彼らをおそうが、互いに助け合い、励ましあって同じ目標を目指す彼らの姿はファイクションではあるものの、見ていて非常に清々しい。そして彼らの年代らしく、ちょっとやきもきして、切ない恋の伏線も登場する。

 たかがシンクロ。しかも文化祭でのたった一度だけのために困難にもめげずに前に進んでいく。「どうしてお前はシンクロがそんなにまでやりたいんだ?」とお互いが問いかけ、「シンクロが好きだから」、「友達が欲しかった」、「今しかできないから」、「何か自分が変われるような気がしたから」、とそれぞれが語る。別にシンクロでなくても良いのかも知れない。その一つはバンドかもしれない。ストーリーとしてはそっちの方がリアルであろう。しかしそれだけではドラマにならない。また、バンドは「プロを目指そう!」という邪心が出て良くない。他のスポーツもそんな匂いがする。しかし、プロのシンクロを目指す男子高校生はいないだろう。人生においてまず役に立つ事がないであろうシンクロというところに打算を抜きにした健全な若者の姿が感じられる。

 残す最も大きな困難は相変わらず、文化祭での公演中止決定である。終盤に向けてこれを如何に克服していくかがストーリーの軸となるだろう。恋愛ドラマには破局でのエンディングというケースがたまにあるが、このドラマでは公演できずにおしまい、という結末はなく、そこにはハッピーエンドしか想定できない。そういう意味では先の分かりきったドラマでしかない。しかしそれも許そう。変に奇をてらって、公演できないエンディングを見せられるよりよほど良い。もはやエンディングに向けての私の興味は最終回あたりに妻夫木 聡がドラマにその姿を見せるかどうかである。私がプロデューサーなら、もちろんイエスなのだが。

(秀)