第112話 ■繰り返しへの不満

 先日、ブースカの復活を喜んだが、そう手放しでは喜んではいられない気がして来た。ロボコンの復活も金八先生の復活もそうである。俺たちの旅もきっとそうだろう。かつて20年やそれ以上前に流行ったものがリバイバルされるということは、その当時リアルタイムででこれらを楽しんだ人々、おそらく30代の後半や40代にかかったところの人だろうが、この年代の人々がメディアの中心となって働いている証拠である。それなりに影響力や決定力を持って来た証拠である。その結果がこのリバイバルの波である。しかも、ストーリーや設定においても焼き直しにすぎないものばかりである。何たる体たらくぶり。オリジナリティのかけらも感じられない。もっと早く、ウルトラマンが復活した時にこの傾向に気が付くべきであった。そして、ゴジラも帰って来る。

 今の社会の中心にいるのは紛れもなく、団塊の世代である。ただ、メディアの中心はそれよりもやや若い世代であろう。彼らは遅れて来た世代と言われた。いわゆる安保も全共闘も何かも終わった後の世代である。グループサウンズもエレキブームも。上からの「俺等の時は…」という話を散々聞かされた世代である。それ以前の文学や映画、ドラマには政治的な背景をベースにしたものが多かったが、70年代の中頃からその色彩も無くなってしまった。社会性をなくし、娯楽一辺倒のメディアがあふれて来た。そんな時期に青年期や幼少期を送った人々がメディアの中心となり、そしてリバイバルに終始しているのである。もっと遅れて来た世代の自分が見て来たことのようにこの時代を語るのはおかしいのでこのぐらいにしておこう。もちろん世代論がリバイバルに走る答でもなさそうだ。

 ゴジラは破壊することを象徴とした怪獣である。果たしてこれから何を壊そうというのか。相変わらず、壊すべきものはいっぱいあるが、リバイバルに安住する体質をまず壊して欲しい。