第113話 ■「欲しい」と「買いたい」

 買いたいものは相変わらず色々あるが、思うように買えないのは何もお金が足りないからだけではない。色々と心理的なブレーキがかかっている。あれもこれもとなかなか優先順位を付けきれないことがその1つのようだ。うまく均衡が保たれているわけだ。もしもその中から何かを手に入れてしまうとそれに味をしめて、次々と食指を伸ばすであろうことは明らかである。それと、例え欲しいものがあっても値ゴロ感になびかないとダメである。

 最近、ブルガリのアルミニウムという腕時計が欲しい。20万円ぐらいのものである。ただ、欲しいのはデザインが気に入ったがためであり、別にブルガリである必要はない。いっそのことシチズンやセイコーで、もっと安い価格で同じ様なデザインのものがあれば迷わず買ったであろうが、デザインだけに20万円まで出してまでは買う気にならない。

 それともう一つ欲しい物に、ホンダS800という車がある。もう30年以上前、自分が生まれた頃の車である。文字通り、800ccで二人乗りの小さなオープンカーである。別に何等かの思い出があるわけではないが欲しい。けど、さすがにコンディションの良いものは少なく、200万円では買えないだろう。色々と探し回って、200万円出してまでは欲しいとは思わない。思ったより故障が多かったり、「(やっぱり)走らねぇー」と思うのが目に見えている。

 「買いたいと思わなければ、本当に欲しいということでない」と言う人がいるかもしれないが、表面的には「欲しい」という言葉でまとめられている。しかし、実際には「欲しい」と「買う」には大きな隔たりがある。買い物中毒になると買う度に「また買ってしまった」などという嫌悪感が襲ってくるらしく、その恐怖から逃れるに、また新たな買い物に走るらしい。「宝くじでも当たったら…」なんてことをしばしば耳にするが、例え宝くじに当たっても、「何でこんなもん、買ったんだろう」と後悔する感じは残ってしまうだろう。ジョンレノンが子供におもちゃを店ごと買ってあげたことがあるらしい。結果、子供は金や物では満たされないむなしさを学んだらしい。もちろん自分が同じ様なまねはできない。そんな金ももちろん無いが、そんなことに大枚をはたいたら、その浪費に対する嫌悪感から立ち直ることができそうに無いからである。もちろん、私がお金を貯め込んでいるようなことは毛頭ない。

(秀)