第14話 ■サイン

「なんで紙に名前を書いただけのものに価値があるんだ」という内容ではない。サインはサインでも、雰囲気や兆候といった、サインの話だ。その中でも恋のサインの話をしよう。私はこの手のものにはめっぽう鈍感である。けど、コラムは進む。

 恋のサインは出す側と受ける側の周波数が合わないと成就しない。そしていつか時効を迎える。しかし、それが学生時代の話となると、同窓会で蒸し返したり、といったことにもなりかねない。「言えなかったけど、私、あなたのことが好きだったのよ」、なんて言葉がかつてのクラスメイトの口から語られようものなら、きっとグラスを持つ手は震え、一気に酔いもまわってしまうだろう。けど、標準語では違和感があるので、郷里の言葉でもう一度。「言えんやったけど、うち、あんたんこと好きやったとよ」。「なし、あんとき、そがん言うてくれんやったと(なぜ、あのとき、そう言ってくれなかったんだ)?」。十数年前にサインがうまく通じ合えていたら、二人の人生は変わっていたかもしれない。

 こんな不幸なことが起きないために、どうすれば良いか?。仮に、人間に犬の尻尾が付いていたらどうか?。好意的な人の前で尻尾を振ることで、サインは明確に表現できる。けど、ところ構わず尻尾を振り歩いている人々や公衆の面前で平気で抱き合っている彼らが尻尾を振り合っている姿はどうも見苦しい。たとえその多くをロスしても、サインを感じる、感じない、そんな機微を楽しんだ方が良いのかな?。