第142話 ■UHF

 物心がついた時には家にテレビがあった。昭和44年頃のことで、白黒テレビであったが、その姿は細い4本のネジ込み式の足に支えられ、画面の前にはブルーのフィルターが「目が悪くならないように」ということで、テレビの上面から吸盤で吊るされていた。真空管式であるため、スイッチを入れても、なかなか画像が現れず、消した時は「ガチョーン」と、中央に光が尾を引き画像が消えていったのを記憶している。ブラウン管の角が丸く、色が白っぽいのが、当時の白黒テレビの共通した特徴でもあった。そして、それからしばらくしてカラーテレビがやって来た。昔の大型家電商品はダンボール梱包ではなく、冷蔵庫も洗濯機も、そしてテレビも木の枠で囲まれた梱包だった。電器屋さんはバールでこの木の枠を壊して、家の中に運んで来る。

 それから数年経ってからの話であるが、友達の家で白黒テレビを目の当たりにした。既に現役ではなかったが、「まだ映るから」ということで離れの部屋に置かれていた。それは以前うちにあったものよりも古いようで、形も少し違っていた。「チャンネルのつまみが1つしかない。外付けのラジオみたいな箱が上に載っている」。首都圏で生まれ育った人、およびチャンネルつまみの付いたテレビを見たことがない若い人のために説明すると、タッチ式以前のテレビにはチャンネルつまみが二つ付いているものだった。それぞれのつまみは「VHF(1~12ch)」と「UHF(13~62ch)」のつまみである。首都圏の人にはUHFで放送を見ることはほとんどないだろうが、地方のローカル局のチャンネルはUHFなのである。友達の家にあった白黒テレビはVHFのチューナー(ラジオという意味でなく、受信装置の意味)だけが内蔵され、UHFチューナーは外付けで、それがテレビの上に載っかっていた箱の正体であった。UHFを必要としない首都圏ユーザをターゲットにコストダウンしたモデルだったのだろうか?。それとも、以前はこのスタイルが多かったのだろうか?。その箱はコンバーター(何をどう変換するというのか)という名前だったらしい。