第1795話 ■道灌

 東京の落語家の階級は上から順に、真打、二ツ目、前座となっているが、この前座の前にも公式ではないが、見習いなどと呼ばれる時期がある。最大手である落語協会の場合は、6ヶ月ルールというのがあって、まずは師匠に入門してから見習い期間としての6ヶ月間を経てからようやく協会に前座として登録が許されるようだ。まあ、いろいろとしきたりがあるようで、前座の時は年中無休で師匠の家の手伝いをしたり、寄席に通って裏方をしたりして約3年を過ごす。多くの噺家がこれまで一番嬉しかったのは、「二ツ目に昇進したとき」と答えている。真打になった時よりも二ツ目になった時が嬉しいというのは、前座修業からの解放によるところが大きいのではなかろうか。

 前座が実際に高座に上がる機会は非常に限られている。定席と呼ばれる寄席で開口一番として高座に上がるにしても、昼の部と夜の部でそれぞれ一人ずつ。半人前ということで、その日のプログラムに名前が載ることもない。そして習ったいくつかの噺から、さらりと1つを披露して、また裏方の仕事へと戻る。だいたいが前座噺と呼ばれるもので、「寿限無」や「饅頭こわい」、「つる」といった簡単な噺が多い。年始には「子ほめ」を大量に聞くことにもなる。

 当の前座にとっては緊張の大切な高座であろうと、観客は冷ややかなもので、聴き慣れている噺のせいもあるし、まず笑わない。それがまあ前座にとって修行の一つとも言えなくもないが、ただ淡々と話しをして、時間が来たら引っ込むまでである。前座の分際でマクラで面白いことを喋ることも許されず、だから彼らは観客の反応などお構いなしで、淡々と喋るしかない。じゃあ同じ噺を真打がやったらどうかと言うと、それはもちろん面白い。

 前座噺の基本スタイルはご隠居などとの会話噺である。喋る人の立場によって首の向きを変え、上下(かみしも)を切る動作の練習がこれに含まれている。あとは「寿限無」に代表される口馴らしのトレーニングである。基本的にそれほど面白いわけではなく、こじんまりとした地味な噺ばかりだ。

そんな中の1つに「道灌」という噺がある。道灌とは江戸城を築城した太田道灌のことであるが、これまた地味な噺だ。道灌が狩りに出掛けた際に急な雨に降られ、近くの民家に簑を借りようとしたしたところ、その家の娘が山吹の花を差し出したという逸話を噺に仕立てたものである。しかし、この噺には落語を演ずる上で必要なエッセンスが盛り込まれているそうだ。

 隠居さんとそこを訪ねてきた八っつあんとの会話を通じて、その目線で距離感を表現しないといけない。重要なアイテムとして道灌の掛け軸が出てくるが、向き合った二人から見て、それがどこにあるのかをきちんと定めておかないといけない(向き合った二人にとっては、それぞれ左右が異なる)し、部屋の広さも意識した上で、演じないといけない。稽古中、師匠からは、「掛け軸はどこにある?」とチェックを受けるらしい。

 そう言われれば、他の前座噺にはそこまでの設定や技量を求める内容は見当たらない。会話がスムーズであれば、何となく形になってしまう。しかし、道灌はそうもいかない。いたって地味な噺であるが、奥は深い。彼らは視線で相手との距離感や空間の広さまでも演じている。そう分かると、前座の噺の聞き方もちょっと変わるかもね。

(秀)