第1797話 ■募金

 中学生の時に、私は生徒会でボランティア担当の役員をやっていた。本来は結構地味なポストであるが、目立ちたがり屋の私としては様々な活動を実践することで、露出度を増やして、かなりのメジャー化に成功した。主な活動は週1回、昼休みに実施する「奉仕活動」と年に数回やってくる募金の依頼だ。

 まず、奉仕活動は地味に草むしりなどをやるのだが、それを何と、毎週全校生徒の5%以上の参加を得るイベントへと改革した。そしてそれ以上に私が力を入れたのは募金集めだった。最初のヒラメキは雑誌「写楽」に掲載されていた、アフリカの飢餓をレポートしたグラビア写真だった。早速そのページを切り取り、それを厚紙に貼って、学校に持って行き、勝手にと言うか、自発的にと言うべきか、先生に相談するようなことをせず、募金活動を開始して、全校朝礼でも壇上でそれを告知した。どのくらいの金額が集まったかは覚えていないが、自分の自発的な活動が具体的な形となって嬉しかった。

 それから後、白い羽根、緑の羽根、赤い羽根での募金でも力を入れ、その度に集まる金額が増えることで嬉しさも増していった。まさに校内では「ミスター募金」、「募金くん」という感じの存在になっていた。そして、「歳末助け合い募金」では生徒の人数分封筒を用意して、募金を募り、これまでにない規模での募金を集めることができた。夕方、生徒会室で10円玉などを10枚ずつ重ねて柱を作っていくのが、自分の金ではないながらも至福のひとときであった。

 けど、ここまでくると正しい募金なのだろうか?、という疑問が出てきた。善意とはその人の自発的なものを尊重するべきもので、封筒まで配っては、募金というよりも集金であろう。お金を集めることが目的で、しかもそれで自己満足をしていたのだ。まさに募金バカだった。正直言うと、その時は「恵まれない人々に~」なんて言いながら、最初はその人達のことを思っていたはずだが、途中でそんなことは意識から飛んでいた。

 先日、上野公園で20人あまりの医学系学生達が東日本大震災救援のための義援金集めをしていた。私が見たのは日曜日だったが、横断幕に前日に集まった金額を表示していて、その金額が100万円を超えていて驚いた。けど、お金を集めることが快感となって、それが目的化していく学生が出ないとも限らない。仲間と仲良く、社会奉仕してそれで自己満足してしまうパターンだ。かつての私のように。

 「We are the World」で著名なアーティストが集ったユニットはとても魅力的だった。そもそもの発案はアフリカの飢餓を救済する資金作りであり、それに賛同してくるアーティストが集まったわけであるが、実際のレコーディングやプロモーションの段階まで来ると、参加アーティストの気持ちもやや不純になってきて、歌手としての序列やメンツといったドロドロしたものもあったのではないか。「俺の出番があいつよりも少ないのは何故だ?」とか、「どうしてあいつにソロパートがあって、俺には無いんだ?」とか。もちろん、私の邪推でしか無い。

 チャリティコンサートやチャリティオークションなどは、客の立場としてはチャリティということよりも、そのアーティストのコンサートであることや持ち物が販売されることに価値があって、救済の意識は低いのではなかろうか?。

 やがて大人になって、善意の裏でのいろいろと大人のイヤラシイ部分を知るようになった。名簿業者から個人情報を買って、DMで寄付を求めてくる団体。一見、立派な活動のようだが、その寄付でそこで働いている人の賃金が賄われていて、また一部は名簿を購入する費用にあてられていることを知った。これでは寄付に寄生している。援助先が海外の場合、物資を送ったものの、末端まではその物資が届かずに、不正により中間で儲けている人の存在も知った。

 募金とは自発的で、お金を出した方もちょっと心が豊かになるようなものでないといけない。ただ、善意の気持ちに満ちた10円玉と、おネエちゃんの前で格好付けて募金したお札とでは、お金という形では後者の方がありがたいから悩ましい。

(秀)