第1800話 ■カメラメーカーの盛衰一例

 30年程前、私はカメラ少年だった。それほどカメラをじゃぶじゃぶと買える身分ではなく、カメラよりもその結果の写真に対する興味関心の方が強かったが、それなりにカメラのことも詳しかった。当時の主たる国内のカメラメーカーというのは、旭光学(ペンタックス)、オリンパス光学、キヤノン、日本光学(ニコン)、ミノルタというのが5大メーカーであった。これ以外にも、コニカやヤシカ、リコーなんてメーカーもあった。ペトリは既になかった。

 それから時代が下り、ミノルタはコニカとくっついて、コニカミノルタとなったが、カメラ事業をソニーに売却して、もはや両社ともカメラ業界からは撤退している。ヤシカは京セラの傘下に入ったが同じくカメラ事業からは撤退している。いずれも銀塩写真からデジタルカメラへの転換点で脱落した形に見える。そしてここから新たなメーカーとして、パナソニックやカシオといった電機系の会社が参入してきた。富士フイルムは今のところうまくデジカメに移行できたかのように見えるが、かつてのフィルムや現像部材等の売上に比べると大幅に目減りしている。

 そして、ペンタックスが先日、HOYAからリコーに売却されることが発表された。ペンタックスのカメラ事業に携わっている人々にしてみれば、敵対的に買収されたメガネレンズの会社にいるよりは、カメラ事業を持っている会社の方がいろいろとやり易いかもしれないが、その胸中は複雑なものだろう。かつて両社はそれぞれ、一眼レフカメラのボディと交換レンズを作って販売しており、それぞれのボディとレンズが同じ規格で互換性があったため、メーカーをまたいでも接続ができた。

 「Kマウント」というその規格の本家はペンタックスであり、リコーはその互換品メーカーという立場で、ブランド的にも圧倒的にペンタックス優位であった。やがてリコーの一眼レフカメラの開発、生産は衰退していく。しかし今回、本家が互換品メーカーの軍門に下ることになった。当事者の心境はどんな感じなのだろうか?。かつての一眼レフの開発や生産に携わっていた人々は残っていても年齢的には定年間近の層だと思う。

 30年前、中学生の私にはおろか、世の多くの人にペンタックスブランドがHOYAに移ったり、はたまたリコーに移ったりすると予想できなかったことだろう。一般的なサラリーマンの人生は一つの会社を勤めあげたとして、大卒で38年。それに対し、一般的な会社の寿命は30年と言われている。しかもその30年間が順風であり続けることはない。

(秀)