第1842話 ■納得の落とし所

 世の中を「納得」という尺度で計ってはいけない。世の中は、誰かの納得では決して動いていない。少なくとも、法律なんて誰かの納得のためになんて作られていない。

 舛添都知事の疑惑問題について。テレビでは連日のネガティブ報道合戦である。コメンテーターもこぞって都知事に批判的な言葉を次々に吐くが、あれだけテレビに出ているコメンテーターがいるのだから、東京都に住んでいない人もいるのではなかろうか?。私は東京都民ではないし、東京で働いている状況に今はないので、都知事の出処進退について何らかのコメントを言う立場にない。

 「都民(の多く)は納得していない」のだろう。けど、納得を追求すると、単なるポピュリズムに陥る可能性が高くなる。増税に納得する人なんて、そうそういるものでない。総論で賛成しても、自分は税金をできるだけ納めたくないと思っている。原発に納得している人がどれほどいるだろうか?。けど、稼働している原発があるし、いずれ増税はされる(だろう)。

 納得とは感覚である。これを裁判に持ち込むといけない。裁判員制度でも、いざ量刑を決めるとなると、これまでの判例というのが大きく影響する。軽すぎるとか、納得いかないという感情を差し込むとおかしなことになってしまう。また、裁判とは現行の法律でどう判断すべきかを決める場である。法律が現状に合わないからと、あるべき姿を示す判断をすることは基本的に認められない(最高裁判所がそのような判断をすることはある)。

 世の中は、納得でなんて動いていない。実社会では、どちらが正しいかだけで判断されないことがたくさんある。正義感を振りかざし、正面突破を試みてばかりいては、弾かれたときのショックが大きい。「納得できません!」。そう言っている間は、同じ結果を繰り返してのままだろう。

 テレビのワイドショーなんか、所詮は数字が取れるネタを待っているだけでしかなく、視聴者の納得なんてどうでも良くって、見ている側もそんなもんだと思って、ある意味納得して見ているのかも知れないね。

(秀)