第1853話 ■「何も変わらなかった」、では済まされない!

 今回の参議院選挙の関心事の一つは「18歳選挙権の導入」である。様々な取り上げ方があるだろうが、新有権者(特に20歳未満だが)の生の声を取り上げたものが多いような気がする。そして、アンケート。しかし、そんなもので若者の何がわかったと思っているんだろうか?。例えば、大学で学生の声を聞く。彼らは大学生として、きっと優等生的な答を返すはずだ。だから、投票に行くと答える人の割合も多いはず。だから、私は報道される数字をそのまま受け入れる気には到底なれない。国会を取り巻く、熱心な若者たち。彼らを批判するつもりはないが、彼は若者の中の、極々少数派でしかない。そして、いつも大勢を握っているのは、決してティピカルではない、サイレント・マジョリティーだ。いずれも、文字通りその声を掴みきれていないと思う。

 せっかくだから記念で投票に行く新有権者は、ある程度いるだろう。但しこれは今回限り。いくら他の年齢層の数倍の投票率があったにしても、結局彼らの投じた票は全体から見たら、ほんの数パーセントに過ぎない。本来なら、その規模の票数でも、動向は非常に重要である。しかし彼らが集中的にそれらの票を反映させることなく投票するならば、結果への影響は極めて小さくなる。要は受け皿がない。彼らの支持を得られる、若者向けの政治団体(政党の要件を満たしていないから)ができたにしても、候補者の最年少者は30歳なのだから、所詮彼らからまだ遠いと思う。

 私が何よりも今回危惧していることは、「投票には行ったけど、何も変わらなかった」と彼らが思うことだ。それ以前に、「どうせ自分の一票くらいでは、何も変わらない」と思って、投票率の低い若者たちに対し、「とりあえず、最初だから行ってみよう」という気持ちで投票に行った新有権者が、その後に結果として同じ思考に陥ってはいけない。それが心配だ。

 勝ち負けではなく、投票することが大切。これはある意味正しい。しかし、「何も変わらなかった」ということが長く続くと、次第に参加意識が低下してしまう。別に選挙の結果だけではない。各政党・会派間で議席の増減が多少あろうとも、結果として何も変わらなかった、となってしまったら、責任の大半は議員自身にあるが、そんな議員を選んだ自分たちも悪い。その意識があれば、続けて投票にも行けるだろう。何も新有権者だけの話ではないよ。

(秀)