第1866話 ■森山大道風

 私は中学生のときから写真の趣味を始めて、禁止されていたにも関わらず、日常的にカメラを持って中学校に通っていた。先日の中学校の同窓会のために当時のネガを探してみたら、保存状態が良くなく、というか現像後の洗浄が不十分だったせいか、そのうちの幾つかを既に処分しているようだった。ただ、手元に残っているネガ中からでもいろいろと懐かしいものが見つかって、被写体当事者も含めて喜んでもらった。

 当時はお金もなかったこともあり、モノクロ写真ばっかりで、フィルム現像から引き伸ばしでの紙焼きまで自分でやっていた。家にもこれらの機材があったし、学校の暗室も理科準備室の角にあり、出入り自由の身の上だった。ただ、そうそう紙焼きすることもなく、ネガの状態でチェックするだけでは、手ブレやピンぼけの状態まではわからず、悪い癖が付いてしまって、雑に撮ってしまっていた時期もあった。

 ネガを調べると、2000年頃まではそこそこフィルムカメラで撮っていた。しかし、デジカメの便利さを体験してからは、フィルムには戻れなくなってしまった。現像するまで確認できなかった画像をその場でチェックできるなんて、ポラロイドカメラかインスタントカメラでないとできなかったが、それは非常にフィルムが高かった。それが、デジタルでは実質フィルム代や現像代が掛からない。かつては、フィルム代を気にしてシャッターを押したり、液温や埃を気にしながらフィルム現像をしていた。自宅に暗室なんかないから、深夜の台所での作業。

 もはやそんなエネルギーはないから、デジカメばかりだし、一方で、これまでのネガをフィルムスキャナーで読み込んで、デジタルデータ化の作業を行っている。そこで気が付いたこと。中学生当時に私が最も影響を受けていた写真家は森山大道という人だった。「遠野物語」という写真集を見て、感動と言うか、「これなら自分も撮れそうだ!」という大胆なことを思っていた。綺麗とか、上手い写真ではなく、味のあるモノクロ写真である。露出に関しても結構いい加減なものが多い。

 出てきたネガを見てみると、中学生の時のみならず、大人になってからも、彼の作風の影響を受けていて、いわゆる、森山大道風の写真がたくさん見つかった。これらをうまく編集すれば、彼の新作の写真集と言って誤魔化せるほど似ている。まあ、デジタルデータにしてしまえば、それこそ何でもできそうなもんだ。ただ、今ならデジタルで手軽にできそうなことを、アナログでやっていたところが彼の作風の魅力だったと思う。

(秀)