第1871話 ■情報化とは、その総体のこと

 例えば、寄席や落語会で演者が話したことは、その会場限りというのが従来の決まり事で、口外禁止。そのためかなり際どいことを言っても、わざわざ金を払って見に来ている人たちだから、苦情どころか、それをむしろ楽しんでいる人がほとんどだった。それがやがて、ツィッターで演目をリアルタイムにつぶやかれ、マクラの内容をつぶやかれ、挙句には演者への評価の場と化した。私も最初の方で、この動きに大いに加担した覚えがあるが、その後大いに反省した。

 こんな感じでいろいろと情報の限定が測れなくなってしまっている。日本共産党の奈良県議団等が、「陸上自衛隊は『人殺しの訓練』」という講演会のチラシを作成してまいたとの報道がなされた。彼らの周りでは今までにやってきたままのことで、チラシを作る段階では、今回のような批判など予想もできなかったはずだ。何故なら、そんなチラシは「赤旗」に折り込んで支持者に配布するだけだから、文句を言ってくる人はいなかった。発信する側もそれを受け取る側も長い間そんな環境に慣れてしまっていたため、昨今の情報化の流れについていけていない。

 情報化とは、自らが発信者や受信者となることに限定されない。そのような影響下にある総体を捉えて、情報化と言うべきだ。だから、たまたま支持者以外の人がチラシを見て、あるいはまたその周囲の人の中から、「おかしい!」と声を挙げる人がいる。SNSによってその声は連鎖し、証拠の画像等が晒される場合もある。マスコミにこれらの情報が届くのに、もはやそれほどの時間など掛からない。

 年配の議員がしばしば変な発言をする例がある。思想的に年配だから意固地な面もあるかもしれないが、それは、これまでたかだか100人位の会場で、しかも支持者を前に発していた感覚で、ネットの民の存在やその影響力の存在すら認知していないからだと思う。

 秘匿性の高い会議の場の発言の雰囲気が、そのまま周囲まではその物言いで通じていたと思い込んでいたが、世間はもはやそんな状況ではない。これは別に共産党だけでなく、右左なくあり得る。ただ、共産党は一般社会との接し方にあまりにも慣れていなかった。ずっと孤高を気取っていたから、ちょっと注目が集まっただけで、足元をすくわれてしまう。

 このような洗礼を受けて、次第にチラシや物言いは穏やかになるかもしれないが、表現のいずれを問わず、「言葉が足りなかった」などと言っている限り、頭の中は変わっていないんだなあとも思う。

(秀)