第1884話 ■受験のシンデレラ

 落ちこぼれの女子高生が東京大学を目指すというドラマ。ちょっと前に同種の話として「ビリギャル」が流行った。表紙につられて本を買って読んでみたら、大した内容ではなかった。表紙に出ている写真の女性がこの本の主人公で、執筆者の姿かと思ったが、そうではなく、その女性は完全な別人でモデルさんだった。そんな感じで、あの本の売上はこのモデルさんに依るところが大きいだろうから、このモデルさんには執筆印税以上の額を払っても良いと思う。

 さて、冒頭のドラマの方に話を戻そう。そもそもは以前に映画になったそうだが、あいにくそのことは知らない。現在、NHK BSで放送されているドラマに関して話したい。主演は川口春奈。彼女が貧乏生活を脱し、生涯に稼ぐ金を増やすためにと、東大受験を目指すドラマ。その彼女を指導する塾講師を演じるのは、小泉孝太郎である。

 このようなドラマにはストーリー展開をスムーズにしない様々な障害が出てくる。まずは彼女があまり勉強が得意でないこと。これは基本。そうでないと展開が成り立たない。そして、金にだらしない母親(富田靖子)の存在。一方、塾講師だった小泉は塾の経営者であったが、経営方針をめぐって共同経営者と対立し、塾を追い出される。これまでの成功を全否定されるような逆境に追いつめられる。

 そして極めつけは、小泉への余命宣告。脳腫瘍により、自分の死期がそう遠くないと知らされ、親友の医者に受験が終わる春までの延命を頼み込む。生き死にの話題を持ってくるのは卑怯だなあと思う。何故なら、あまりにも安直すぎ、ストーリーの構成としては、乱暴すぎるからだ。

 多分最後には、彼女は東大に合格することになるだろう。そうしないとストーリーが成り立たない。ドラマの醍醐味は振れ幅にある。ドラマの最初と最後で主人公の境遇がどれほど変化しているか、あるいはその途中でどれほど変化するかの振れ幅が大きいほど、展開が大きくなる。受験したけど、不合格。主人公が元の勤労学生のままでは視聴者が許してくれない。ただ、そのストーリー中にある程度のリアリティがないといけない。

 それでいて、小泉が演じる指導者の余命がどうなるか。そこまでのバランスとして、余命を迫るような設定が本当に必要だったのかが問われる。ドラマづくりには幾つかのフォーマットがあって、というかなり穿った形で私はドラマを見ている。

(秀)