第1889話 ■地方アイドルの限界

 前話からのやや続き。我が郷里にも地方アイドルが存在することを初めて知った。ここ数年は帰省の回数も多く、いろいろと地元の情報はチェックしていたがこの状態である。「まあ、いてもおかしくはないだろう」とは思っていたが、実際にいた事よりも、この程度の認知度でしかなかったことに注目すべきかもしれない。とりあえず、地元色を意識しすぎた変な名前ではなくて良かった。

 地方アイドルというのは立ち位置が不明過ぎる。地元の認知度を外部にアピールするものか、それとも地元でのイベント事の盛り上げ役となるか。あるいはその両方の役割を期待されている。後者の効果について、個々の成果がどうであるかは分からないが、我が郷里の例では、まだまだ弱いと言わざるをえない。前者の例については、全国区と言えるような地方アイドルの存在を私は知らない。

 文字通り、「会いに行けるアイドル」である。AKB48(のスタッフサイド)が掲げたコンセプトと文字面は同じであるが、中身がハナから違う。そもそも「会いに行きたい」と思わなければ、その言葉の価値はない。加えて、AKB48等のファンはいつかメジャーになることを目指して活動している彼女たちを応援することへのバリューもある。

 何もメジャーになることばかりが目標でないアイドルもいるし、それらを応援したいファン層もいる。「地下アイドル」と言われる。心のどこかでメジャーになりたいという気持ちがあるものの、現状のポジションで活動を行っている。地方アイドルのポジションはこの地下アイドルに似ているよう感じがする。ただ、秋葉原を中心とした地下アイドルは数が多いために応援する側としては選択の幅がある。一方、地方アイドルにそれほどの数の選択肢はない。そして、地元の人々の多くは彼女たちを地元の代表などとは思っていないし、存在すら知らない。

 ゆるキャラと違い、地方アイドルは生身である。旬な期間は短い。グループであっても、世代交代の問題は付きまとう。地方アイドル現状は立ち位置が不鮮明であることに起因することが多いと思うが、それにはさらなる原因があって、それは地方そのものの発信力不足だと思う。とりあえずの真似事ばかりが多い。これはアイドルだけでなく、どこの地方都市も駅前や繁華街は同じような顔をして見える。

(秀)