第1895話 ■要約力と伝達力

 最近のテレビ番組はクイズ形式のものが増えたなあという印象が強い。クイズ番組だけでなく、バラエティー番組でもクイズ形式で出演者に回答を求めるパターンがある。たまにボケたりするが、それが面白く無いと腹が立つし、その状態でCMになんか行った場合はやきもきしたりしないか?。視聴者の中には一緒に考えて、あれこれ言葉を発して周りに声を掛けたりする人がいるようで、我が家にもいる。

 せっかちだからというわけではないだろうが、私にはあの時間が苦痛で堪らない。待たされた挙句に出てくる答でその時間の損失分をリカバリーしたことなど一切ない。要は、テレビ局が尺を埋めるための時間稼ぎでしかない。本来半分の時間で伝達できそうなことをわざわざ長引かせている。だからそう易々とそんな手に乗ってしまうわけにはいかない。情報番組なら、さっさとその内容だけを伝えてくれた方がどれだけ有り難いことか。

 真面目なクイズ番組というのも以前は好きだったが、最近は見ようという気にならない。問題を作る人がいて、答える人がいる。その間に何か新たな価値が誕生することはおそらくない。賞金なんてものは価値が移動するだけのもので、新たな価値を生み出したとは言えない。その一方で、そのために相当のエネルギーが当事者の間で消耗される。

 もはや記録の大小を比べたり、その抽出速度を比べることに意味は無い。いくら早く走れようとも、自動車には敵わない。いくら力持ちでも、機械には敵わないし、人間の記憶や計算能力も遠くコンピュータにおよばない。記憶の量を高めた人よりも、検索の上手い一般人の方が、より多くの価値を生じさせる可能性が高い。

 そして、検索能力ともう1つ重要な能力として、「要約する力」について注目したい。情報過多の時代だから、取捨選択して適正なものを選び出し、最後にはこれをコンパクトにまとめる必要がある。例えばビジネスではこの素養はとても重要で、うまくまとめて、的確に伝達したりアウトプットしないといけない。

 これに対し、クイズ形式のバラエティー番組の構成は世の中に求められている素養と逆行してしまっている。コンパクトにできるものをわざわざ膨らましている。よって、あまりそのような素養が求められない、家にいる人々が見るだけの番組となってしまう。一方の、本格的なクイズ番組も相手に分かるように伝えるという観点から考えれば、何だかそういう人たちだけで納得して、うまく外に伝達してアウトプットしていける人格とは私には思えない。

 池上彰さんが今受けている理由は、要約力と伝達力において彼が非常に優れているからだと思える。ああいう風になりたいもんだ。

(秀)