第1950話 ■片付けマインド~「もったいない」との戦い

 最近、仕事の関係で「片付け・収納のプロ」と言われる方との人脈ができた。自分の身の周りの状況はさておき、ちゃんと理論的・合理的にこれらのノウハウについて聞くとなかなか面白い。数年前に当時ベストセラーだった片付けの本を買って読んだが、心がときめくことなく魔法に掛からなかったが、それは片付けをしたいという目的ではなく、「どうしてこんな本が売れているんだろう?」という野暮な動機でその本を買ったせいだったのではと今では思っている。

 まずは、その状態を見て、なんと思うかが出発点だと思う。散らかっていようが、何とも不快に思わない人には、そもそも片付けようという気持ちが起こらない。ゴミ屋敷も含め、このようなケースは個々人の「脳」に依るものだと思う。続いて、不快感はあるが、やる気が起きない。やり方がわからない、という人の層だと思うが、最も多くの人がここに区分され、私もここに含まれる。そして片付けのビジネスとしてのニーズの大半もここに存在している。

 さて、実際に片付けができるか、できないか?。結構うまくいかない場合のブレーキについて考えて、それは「面倒くさい」と「もったいない」という言葉に要約されるのではないかと私なりにまとめてみた。「面倒くさい」はさておき、「もったいない」という考えがいつも私の頭の中をよぎり、そこで手が止まってしまったり、それを元の位置に戻してしまう。あるいは、考えている時点で、そこでストップし、何もなかったことにしてしまっている。

 自分の場合、アイテムがやや特殊かもしれない。使っていない家電品がある。パソコンやらコンポやら、スピーカー等々。42インチのテレビも1台クローゼットにしまっている。比較的短いサイクルで機能アップのためにこれらを買い換えるため、しまっているものは壊れているわけで無く、それなりに使える。使っていないから、手元に置いておく必要はないし、それらが無くなったからと生活に困るようなことはないはずだが。

 「手放す」という言葉を片付けセミナーで学んだ。単に捨てるだけでなく、例えばリサイクルショップに売るとか、誰かにあげるとかの行為を総じて、「手放す」と表現する。「もったいない」には2通りある。まだ使えるものが使われずにゴミと化してしまうことを「もったいない」と言うケース。この点は「手放す」行為で何とか気持ちは収まる。

 一方、いくらかの価値を持っているものを手放すことで、金銭的な損をしてしまうことに対して、「もったいない」と言う。損をするくらいなら手元に置いておく、ってやつだ。私の場合、こちらのウェイトが大きい。自分の中での価値観と世間での価値のギャップを承服することができないために手放せずに、手元に置いたまま。

 実際の金銭的な損よりも、「損をした」という感情がダメなのだろう。このように、片付けは「脳」や心理に負うところが多いようだ。片付けの理論、ノウハウ、経験よりも実はマインドを如何に操るかがプロの片付け師の力量のように思えた。

(秀)