第1953話 ■憶測のメディア

 人は「憶測」でモノを言う。そして、世の中は「憶測」に満ちている。テレビでは北朝鮮事情が専門家らしい人の口から語られている。特にワイドショー。どんなに事情に詳しい人だろうと、事実関係の証拠がないものは憶測でしかない。見たり聞いたりしたわけでなく、取材をしたわけでなく、ほぼ経験や雰囲気で話しているのではなかろうか。裁判のドラマなどで見掛ける「異議あり!、弁護人(検察官)は憶測で話しています」というやつだ。特に裁判は証拠の積み上げが基本であるため、可能性があるからと、そこに憶測をねじ込んで心証などにも影響を与えてはいけない。

 裁判員裁判であれば、相手側が「異議あり!」とやってくれるから良いのだが、ワイドショーなどで「異議あり!それは憶測です」なんて言ってくれる人はいない。ましてやフリップやパネルを使って、専門家などの主張をなぞって確認までしている。しかし、テレビ局側もずる賢く、専門家を複数人呼んで、対立するような意見も述べさせて、番組的に一定の結論を出すことは避けている。但し、視聴者側は一方の主張に納得してしまうと相手側の主張など覚えていないもんだ。

 芸能人のコメンテーターもその分野の知識があるわけでもなんでもないのに、分かったふりしてコメントしていたりする。また、街頭インタビューで答えている人を見て、視聴者も自分の意見を持つようになる。ワイドショーなどの情報などを参考にはっきりとした確証などなく、雰囲気からの「憶測」で操られている。一億総コメンテーター時代だ。しかも「憶測」で語っている。

 「一線は越えましたか?」 まあ、どれだけ否定しようとも、誰もそんな否定的な答など信じてはいない。そんなことが同列でテレビで報じられるから、「憶測」の信憑性が曖昧でも麻痺した形で罷り通ってしまう、などと言う、私の主張も「憶測」と言われればそれまでだが。世の中はまさに「憶測」で満ちている。

(秀)