第1959話 ■モラル低下で不幸な時代

 日常で撮影される写真の数が膨大に増えた。カメラを構えることなく、携帯電話やスマートフォンで気軽に撮影できるようになって、これまでの状況は一変した。みんなが持っていて、しかも常に携帯しているわけだから、シャッター(?)を押す回数の総和はまさに莫大に増えた。比較する数字など全く持ち合わせていないが。デジタルカメラがフィルム代など気にすることなくバシバシ撮れたときにも感動したが、今となっては、カメラのシャッターを押す度に金が掛かっていたことを驚く若年層もいるかもしれない。

 どうも撮る側と撮られる側の意識の差というものが思ったよりも大きいようだ。撮る側の意識がその後に変化することを予見できないということかもしれない。例えば気軽に飲みの席なんかで写真を撮る。酔った勢いもあってか、撮られる方も抵抗感なく、いつもとは違った一面を見せたりする。かつての写真は紙焼きするなどして、その被写体の相手に渡すというのがとりあえずのゴールだった。ところが最近のデジタルの画像データはプリントアウトすることなく、そのままスマホやデジカメのメモリーカードに残ったままであることが多い。

 撮られる側はこれまでの感覚で、その撮られた写真が外に出ることを危惧したりしていない。しかし、実際にはSNSに無断で上げられたりしている。撮られる側もそのことを予見し、そのようになる状態を回避しないといけない時代となった。どちらかと言うと撮る側、公開する側の責任となるものだが、撮られる側が自衛しないといけない。

 さて、斉藤由貴をめぐる写真週刊誌での報道について。二週続けて衝撃的な写真が写真週刊誌に掲載されている。ここではその写真の内容は書かない。もちろん顔はボカシが入っているが、ここまでの写真を掲載して良いものだろうか?。彼は明らかに私人である。医師としての社会的信用も高かったはず。しかし、今回の騒ぎで地元の人々は誰かがおそらく分かっているだろうし、噂も出回っているだろう。もう、元の開業医としての状態に戻れるのも危うい状態だったところに、今週の写真が雑誌に掲載された。これはトドメを刺されたも同然。

 いったい、誰がこれらの写真を雑誌社に持ち込んだのか?。しかし、それ以上にそのような写真を雑誌に掲載し、その人の人生を狂わせてしまう雑誌社のやり方は、明らかにやり過ぎだ。この医師は犯罪者ではない。開業医として、その場所で続けることはもはや無理だろう。まさかこんな目に遭うと思って、写真のような格好はしなかっただろうし、よもや撮られた写真がこんな形で世に出るとは思いもよらなかったはず。

 ここまで私人に関するプライバシーを公にすることが許されるべきではない。マスコミや社会全体が不倫に対して過剰に反応しすぎている。芸能人であれ、当人やその家族、あるいは当人に関わる芸能事務所やスポンサーには影響があるかもしれないが、大半の人の生活には何の影響もない。ファンなら、多少は怒って良い、これくらいだろう。但し、税金で生活の糧を得ている議員等はやや違う。そのことで反発を招き、支持を得られないなら、その職を辞するべし。

 直接的には関係ない人々が、読者や視聴者を煽って、飯の種にしている。そして私人に対してまでも社会的制裁を与えている。当事者の名前や顔写真を探し出して公開しているサイトにアクセスを集めて広告費を稼ごうという輩もいる。こんな動きはすぐに伝染して、一般人たちの感覚までにも影響を与える。被写体の了解なしに、写真や動画をSNSに上げたり、悪口や批判的なコメントを書き込んだり。内輪だけのものと思っていても、その開示者の中に不心得者がいれば、簡単に情報は外部に漏れ、簡単に拡散されてしまう。

 プライバシーの保護、個人の権利・名誉、これらに関する世間の思考が追いつかない速度でデジタル機器や環境が変化してしまっているがために、安易に周りの真似して不幸な事態を招く。人の不幸は蜜の味。こんな雰囲気が蔓延した社会では不幸の連鎖が続くだけ。何だか社会がいろいろとおかしな方向に向かっているような気がして不快。

(秀)