第254話 ■逢魔が時

 「たそがれ」という言葉は、「誰(た)そ彼」という言葉から派生している。夕暮れ時になって、彼が誰なのか分からなくなる、という意味だ。今は夕方だろうが、夜だろうが電気ピカピカでそんな風情の欠片もないが、昔は夕方からじわじわと、それでいていつの間にか暗くなってしまって、人の見分けがつかなくなるのだろう。「たそがれ」と言うと、絶頂を過ぎて衰退に転じるタイミングを意味していたりもするが、その一方で艶っぽい言葉でもある。

 「おうまがどき」と読む。黄昏と同じ、夕刻を意味する言葉である。昼の世界が夜の世界に変わるタイミングに「魔物」が現れるということで、魔に逢う時間という意味だと読んだことがある。何も恐い話ではない。夕方、待ち合わせた彼女が美しく見えるのもこの魔力のせいかもしれない。「誰そ彼」、見間違えてしまうかもしれない。

 私は人を待っている時間というものが、それ程苦にならない(もちろん、相手にもよるが)。特に黄昏時に変わりゆく空と街の景色を眺めながら、女性を待つ時はそのドキドキ感を楽しんでいる。相手が現れると「ホッ」とするものの、ドキドキ感がそこで終わってしまう。正直なところ、出会えてからよりも待っている時間の方が楽しいような気がする。

 というわけで、会社帰りに何者かに導かれるように(きっと、魔物に違いない)、有楽町で電車を降りると、晴海通りを銀座方向へと歩いた。いつもは通り過ごす駅でしかない。待ち合わせと言えば、「和光(銀座四丁目交差点角にある時計が目印の百貨店)」前である。マリオン前ではいけない。銀座で待ち合わせるなら「和光」前と心に決めていた。そこで、しばし誰と待ち合わせたわけでもないのに、黄昏を楽しみ、さっきから魔物との出会いを待ちわびている。ウソ。