第271話 ■含み益

 テレビ東京の「お宝 何でも鑑定団」を見ていての楽しみはいくつかある。紳助の素人相手でもおかまいなしのつっこみ、VTRによるうんちくの紹介。自分が興味のある分野の話が出て来たりしたときは真剣に見てしまう。それに、強気の鑑定依頼者に対して、偽物という判定が下ったり、思いっきり判定結果が安かったりしたときの雰囲気も楽しみの一つである。鑑定依頼者の中に、「自分が持っているものと似たものを博物館で見た」、「前回同じようなものがこの番組に出ていた」と言って出てくる人がいる。家人も「うちにもけっこう、こんな感じの掛け軸があった」、なんてことをたまに言い出す。おじいちゃんの趣味だったらしい。

 私の実家にはそのような金目の骨董品の類はないが、義母も「出すのが面倒」、と言うくらいで、女房の実家にはお宝が埋もれているかもしれない。もしそのそうなものを見つけようものなら、早速売り払ってしまうことだろう。例えそれが100万円であろうが、1,000万円であろうが、関心がない人には眺めているだけでは何の価値も生み出さない。ものに対する未練がないからにはさっさと換金してしまいそうだ。こうしてお宝はそれを欲する人々に集まるようになっているのかもしれない。

 しかしこれが思い入れなどで売るに売れないときは幾ら値段が付こうと意味がない。自分が大事にしているコレクションの値段が上がるのはうれしかろうが、それは手放さない限り何の意味もない。たとえ手持ちの株が買ったときよりも値上がりしようとも、換金しなければその利益を手にすることはできない。しかし、一旦上がり始めると更に欲が出てしまうし、下がり始めたにしても、「今売ると損だから。きっと、盛り返すに違いない」とこれまた欲張ってしまいがちである。そのものを手放さずに価値を生み出すのは金と土地ぐらいしかないと思う。

 テレビで「株に走る女たち」という特集をやっていた。「銀行に預けても金利が安いから」、「周りで職がなくなった人を見て不安だから」、「老後が不安だから」と株を始めた理由を語っている。しかし、何もこの時期に短期の利益を狙って株に走る必要はないような気がする。「なにも一生不景気が続くことはない」というのが私の考えである。