第384話 ■閉塞感

 人間生きていりゃ、多少の嫌なことはあるだろうし、行き詰まりやこれから先のことへの不安もあるに違いない。もちろん、私も例外ではない。この行き詰まりやドン詰まりの状態を表現する言葉に「閉塞感」という言葉がある。あまり日常的に用いる言葉ではないが、いざ目の前に突き付けられるといろいろと不安の材料を思い浮かべてしまう言葉でもある。

 こんなことを意識したのは、とある占いのサイトのせいである。はなから占いなど信じていないが、はじき出されるナンセンスな診断結果を見たいがためにいくつかの質問に答えた。前にも(第一八四話「運命の人」参照)書いたけども、質問に答えて、「あなたはこんな人です」という結果をはじき出すのは、本来の占いではない。心理学と統計学の範疇である。当たって当然の話である。これによって占いと言われる範囲まで信じこませようとする、姑息なたくらみが見え隠れする。

 さて、質問に答えて出て来た診断結果には、私がそのとき閉塞状態である旨が書かれていた。ちょっと行き詰まりを感じていたせいかもしれないし、いろいろと不満を挙げ連ねたせいかもしれない。しかし、即座に逆のことを考えた。「閉塞感を感じていない人間が果たしているのだろうか?」と。仕事もプライベートもうまくいって、「私、そんなこと感じていません」と答える人がいたとしても、「本当ですか?」と再考を促すと小さいことでも幾つかの「閉塞感」を引き出すことはそれほど難しいことではないはずだ。

 「あなたは今何か悩んでいますね?」。席に座るや否や占い師にそう言われても、当たって当然である。占いを受けようとする人は悩みがあるからというのが相場であって、レストランにやって来た客に「お腹空いてますね」と言うようなもんだ。「閉塞感」なんて、これほどオールマイティな言葉はない。私は「当たってる」という前に「当たらない場合があるか?」と考えることにしている。占いなんて所詮そんなもの。巧みな言葉のマジックでしかないと思っている。