第500話 ■コラムのセオリー

 客観的に観察してみると、プロでもないのに毎日コラムを書いている人なんか相当変な人間である。まっとうな仕事し、人並みの生活をしているとは到底思えない。これはもう別の人格の自分がいて、そいつが勝手にコラムを書いているとしか思えない。それでいて、テレビが大好きでドラマなんか欠かさずビデオに録ってまで見ている。日々のコラムは家族に隠れて書いている(あれっ!、どこかで読んだような気が??)。いったい、いつ寝てるんだ?。確かに会社で眠くなることもしばしば。こうして、めでたく500話を迎えた。

 コラムを書き出して、あるいは他のコラムを読んでみて、ようやくコラムを書く上でのセオリーなるものに私は気付き始めた。少々もったいない気もするが、当コラムの読者の中には自分でコラム(らしいもの)を書いている人もいるので、読者への感謝も込めて今日はそのセオリーとやらの一部を披露するとしよう。このポイントを抑えれば、誰にも簡単にコラムが書けるようになる(かもしれない)し、効率良く構成が組めるようになる(はず)。

 そのポイントとは大きく2つ。1つは書く対象を単純化することだ。複雑に見える世の中をばっさりと一刀両断、単純化してしまうのである。私の場合、心理ネタによく使用している。例えば、「買い物は変身願望だ(第213話)」、「予定がうまくいかないのは同時多発的に不測の事態が起こるからだ(第407話)」など。最終的に読者に「なるほど」と思わせなければならない。できるだけ結論は奇抜な方が良いが、論理を展開している途中で話が飛躍しすぎたり、破綻してしまっては元も子もない。また、結論や過程が世に存在する理論や学説であった場合はちょっと興醒め。あくまでもオリジナリティを大切に。

 そしてもう1つは、複数の事象なり対照物を比較して、その共通点を導きだして話を展開させる方法である。ここでも対照物はできるだけ共通点がないと思われるようなものの方が話は膨らむ。しかし、この方法は対象の一面だけをとらえて早急に結論付けるきらいがある。この手法は単に共通点を探し出すだけでなく、対照物の区別や分類を行う場合にもバリエーションとして使用できる。この他にもテクニックとしては伏線を張って、最後のオチに絡める手も頻繁に使用される。

 さて、書き上がったコラムが面白いかどうかはまた別の問題。技巧だけでなく、素材(ネタ)も大切である。今日のところはこのぐらいで。

(秀)