第61話 ■夏休みの宿題

 毎朝、近くの寺から聞こえる蝉の声で目が覚めた。ラジオ体操は既に終わった時間であるが、計画通りに宿題は朝に済ませることにしていた。夏休みの宿題となると必ず「夏の友」という印刷冊子が配られた。冬休みは「冬の友」である。1年生の時はこれに絵日記帳が渡された。約30日分のページがあったような気がする。

 少年の絵日記は毎度、「きのう、○○をしました」といった具合の書き出しで始まる。親に「日記は今日のことを書くんだ」と言われても、それでは毎日、「きょうは(も)7じにおきた。はをみがいた。かおをあらった。いましゅくだいをしている」の繰り返しでしかない。この「きのう」という書出しは律義に朝宿題をしている証拠なのだ。絵まで描かなければならないため結構な苦痛だったような気がする。

 記憶によると蝉取りに行った話を書いたような気がする。家の裏の寺で蝉はわんさか鳴いていた。四方八方、360度パノラマ状態である。「これが自然のサラウンドサウンドだ」といった感じである。うまく取れたかどうかは覚えていないが蝉が木に止まっている絵を描いた。遠近法などメチャクチャ。蝉が手の平ぐらいに大きいというのはその年頃の子供にはお決まりなのかもしれない。捕虫網の目も粗く、真っ直ぐな線で書かれていたりする。

 小学1年生の時にアサガオの観察というものもあった。しかし、目が覚めた時にはいつも既にしぼんでしまっていたような気がする。開いたアサガオを見ることなく観察日記を絵付きで描いたような気がする。休日の朝に寝坊するのは今も昔も変わっていないようだ。

 それと、読書感想文がかつてはとても苦手だった。読むのも苦痛だし、書くのも苦痛だった。大部分を引用、しかも前書きや後書きから、で済ませたこともある。読書感想画に至っては挿し絵や表紙を真似て書いていた。