第444話 ■土曜の夜の戦い

 かつて、土曜日の夜八時からのテレビと言えば、娯楽の王道ともいうべき時間帯であった。それを思うと最近のこの時間の番組はつまらない。人々の生活スタイルが変化して、この時間に家にいない人が増えたためであろうか?。いずれにせよ、この体たらくぶりにはずいぶん長い間、辟易している気がする。

 「8時だョ!全員集合」は私がものごころついたときからやっていた。いつもは「八時には寝なさいよ」という、保育園の先生が「今日はドリフを見たら寝るのよ」と言いながら、給食のバナナを配ってくれたことを覚えている。(土曜日も保育園では給食があった)。小学校に入ってからは、クラスのほとんどが全員集合を見ていたに違いない。「ちょっとだけよ」は教育的に良くないし、食べ物を粗末にするとして、PTAから栄誉ある俗悪番組に指定されたりもした。

 私達の世代はカトちゃん世代である。志村ケンの登場も確かにインパクトはあったが、カトちゃん派としては志村のネタを手放しで喜ぶには至らなかった。そして、しばらくの後にフジテレビが裏番組に「オレたちひょうきん族」をぶつけてきた。最初はナイター中継の雨天対策用(雨傘番組)として準備されたため、初回放送時の視聴率はあまり高くなったようだが、当日の新聞の番組欄で見つけたお笑い芸人達の名前に惹かれてこの日の放送を見た。オープニングは出演者全員が正装して食事をしているシーン。しばらく後に「オレたちひょうきん族」と全員でコールして、ウィリアムテル序曲が流れ、伊武雅刀のナレーションが始まった。

 ひょうきん族が始まったのは昭和五六年のことで、ということは私はこのとき中学三年生である。とたんに周りでは全員集合から、ひょうきん族ファンへの鞍替えが相次いだ。そして、鎬を削った全員集合は二年あまりの後にその放送を終わる。その後に「カトちゃんケンちゃん」にドリフの枠は引き継がれたが、当時の若い世代の多くはひょうきん族を支持した。しかし、放送開始から八年、ひょうきん族の時代もついに終わりを迎える。開始当時の出演者も皆売れっ子になってしまったことが原因、とある本では紹介されていた。番組の終わりに流れていた、「ダウンタウン」や「土曜日の恋人」といったエンディング曲を聴いて、土曜日の夜が深まっていくことを楽しめたあのころが懐かしい。

(秀)