かれこれ哲学づいている。昨日の平等の嘘に続いて、今日は幸福論について触れてみたい。あらかじめ断っておくが、結論などない。哲学なるものはとどのつまり、「自己の存在理由」や「幸福とは何か?」というものをあたかも人間の脳が宇宙よりも広大であるかのように錯覚し、思いをめぐらす学問である(、と私は勝手に思っている)。
そもそも何が幸福であるかなんか、絶対的な基準などない。あくまでもそれは相対的なものでしかなく、他人の不幸を見て、ちょっと喜んだりする人間の弱さなどもそこに機能している。中流意識なんかまさにそうで、一部の金持ちとあとの大多数は貧しい層で、実際の中間層というのは結構少数派のような気がする。とりあえず飢えることはなく生きていけたり、他国の例と比べて、相対的に幸福感を感じているだけのような。ただ、金持ちが必ずしも幸福とは限らない。いや、実際はどうだか分からないが、そう思うことで我々も多少なりとも救われていたりする。
アリストテレスが書いたこの「ニコマコス倫理学」は、人生の究極の目的として求めるものは「幸福」即ち「よく生きること」であると規定し、それを論理的に展開している。具体的にそれは神の生き方に近づくことであり、それはまた「考える」ことである、と繋がる。幸福という相対的な考えを神という絶対的な存在になぞらえる事で普遍的に説明しようという意図が私には感じられた。岩波文庫で出ているので、興味のある人は読んでみたら良い。ただ、最初は面白いけど、上巻の後半からは結構めげる。
考えることが幸福なら、元手が掛からなくてうれしい。蛇足だが、ニコマコスとはアリストテレスの息子の名で、この著作のタイトルは父の死後息子の手によって編纂されたことに由来するらしい。
(秀)