最近のドラマはかなりな高確率でハッピーエンドに帰結。途中色々と障害が生じようとも、主人公が最後に全てを失ってボロボロという結末には決してならない。かつて景気が良かった頃は疑似的な不幸を刺激として寛容する余裕もあったが、このご時世、視聴者にそんな心理的な余裕などない。悲劇が受入れられない経済状態だ。
特に恋愛を軸にしたドラマが多いため、紆余曲折があろうとも、主演の男と女は必ずくっつくことになっている。そこに至る心の振れは展開上極めて重要な要素であるが、その心情の揺れ動き、「一体いつから惹かれるようになったのか?」、あたりの描写が実に粗雑に出来ている。気が付いたらベッドでの朝など。まあ、なかなかこの心情の動きを描写するのは難しく、それよりも映像としてストーリー展開を追うことが視聴者の関心であればやむを得ないことかもしれない。
ここで重要な役割を演じるのが「あて馬俳優」である。男優の場合は単なるバカ、笑い者で終わることが多いが、こと女優になるとちょっと痛い。主人公の男性に振られそのままエンディングを迎えるか、その勢いから別の男ととりあえずくっついたりする。一方、振った男の方もこれで勢いがついて主演女優の方へと走る。菅野美穂、伊東美咲、内山理名、かつては長谷川京子もこのポジションだった。
あて馬女優はある者には一種の通過点で、主演女優の座への一歩手前だったりする。長谷川京子は今クールからようやく主役を得るに至った。伊東美咲もそろそろか。菅野美穂はこの位置で既に伸びきってしまっている。内山理名もここ止まりか?。
(秀)