デノミネーションとは一般に「通貨単位の切り下げによる呼称の変更」のことである。特に日本では100円を新1円にする、100分の1デノミがこれまでに何度も話題なっているが、大蔵省の反対によって毎度潰されているらしい。デノミ実施の理由があまり積極的でないせいでもあろう。その理由というのは「他国通貨に比べて円の価値が相対的に小さいから」である。1ドル=100円では2桁も違うため、1ドル=1円にしたいというわけだ。確かに通貨単位で相対的に日本円より小さいのは「ウァン」ぐらいしか思いつかない。他国ではインフレの事後処理としてデノミを実施しているようだが、日本でもオイルショック以後の低成長期になって、デノミ待望論が出たことを、父が新聞を読みながら話してくれたことで記憶している。デノミなんて言葉は父の口からは出てこなかったが。
クレージーキャッツの「これが男の生きる道」という曲の中に「もらう給料は一万何ぼ」という歌詞が出てくる。昭和37年のことだ。自分たちの親の世代ぐらいだろうか。資料を調べてみると、大卒公務員の初任給は確かにそのぐらいである(民間企業の方が遙かに良い)。それから約40年近く経つわけだが、前半の約20年と後半の約20年のインフレ率を比べれば、後半のその緩やかなことは読者諸氏の想像にも難くないだろう。特にここ数年はデフレ環境下でもある。デノミは物価が安定しているときに実施するのが理想だ。ただ、デノミの後には必ずインフレが起きる。借金をしている人は借金が目減りするから、ある程度のインフレを希望しているのだが、そのことで債権者(銀行)が損失を被るため、大蔵省がデノミを拒絶しているような気もする。
2000円札発行の新聞記事のサブ見出しに「デノミへの布石か」というのを載せた新聞があった。あいにくその記事は読んでいないが、この記者は小渕総理の話をどうとらえたのだろうか。「西暦2000年だから2000円札」という、あまりにもストレートな理由である。これをデノミで20円札にするようなことは当分できないような気がするのだが。ボキャ貧総理の安直な思いつきで、多くの人々のデノミによるインフレ待望論は水を差されたようだ。