「学校の先生は大変だなあ」。30数年も毎年毎年同じことを繰り返す仕事など、おそらく私には耐えられないだろう。これでもう5回目のシリーズになる、金八先生の第1回放送を見ながら、そう思った。しかも、校内暴力(国語教師役のラサール石井が生徒達のリンチを受け、病院送りになった)のシーンや学級崩壊の様子を見て、その思いは加速した。同窓会で会った、かつてのクラスメイトもこのような環境下で教壇に立っているのだろうか?、と思ったりもした。
私は金八先生の1、2回目のシリーズに中学時代を送った、金八世代である。それからもう20年である。最初は生徒の立場で見ていたが、最近は教師や親の立場、すなわち、大人側の立場でドラマを見るようになっていることに改めて気が付いた。不純(?)異性交遊・校内暴力・いじめ・不登校、と一通り現在の教育が抱える問題は扱ってしまった気もする。かつての「加藤」が警察に連れて行かれたシーンなどを思い出すと、3シリーズ目から後の作りはかなり地味になってしまった。
3シリーズ目からは視聴率的にもかなり苦戦しているようだ。その理由の1つは生徒役のアイドルの不在であり、2つ目は秋から始まる1クールの編成のため、肝心の卒業式が無くなったことである。そして、3つ目を挙げるとすれば、リアル感の追求が、ますます地味な日常をトレースするだけの展開におちいりがちであることだ。要はマンネリ化ということである。今回は生徒の減少で生じた、学校の空き教室を老人の日帰り介護施設として利用する設定である。都心で統廃合によって生じた廃校をこのような施設として利用している事例はあるが、今後はこのような同居というのも現実的になるかもしれない。そういう意味ではかなり広範囲に社会的な問題を対象としたドラマの作りになるであろう。かつてはテーマもストレートで、進路などに悩むリアルな姿をシンパシーとともに見ていたが、今回のテーマはあまりも社会派過ぎて、現役の中・高生には受けない様な気がする。視聴者のターゲットが現役学生ではなくなったのだろうか?
「金八先生は大変だなあ」、もとい、「武田鉄矢は大変だなあ」。金八シリーズの制作が決まると主題歌を作らなくてはならないから。あまりにも「贈る言葉」が良くできていたため、本人へのプレッシャーも毎回相当の様な気がする。3作目だか4作目だか、それすら分からないが、どうしても主題歌が思い浮かばない回が1つある。
※このコラムを書いた後に、内容をTBSのオフィシャルホームページで確認した結果、私の勘違いが多々発見された。以下、その内容。
・「3シリーズ目からは視聴率的にもかなり苦戦しているようだ」
・・・確かに2シリーズを山に視聴率は落ちているが、「苦戦」とは言えない。
・「3シリーズ目からは (中略) 秋から始まる1クールの編成のため」
・・・3シリーズ目は1クールであったが、4シリーズ目は2クールだった。
※私が思い出せない曲は4シリーズ目の「スタートライン」だった。