コラムのデパート 秀コラム

第1444話 ■浜田省吾の詩的世界観

 何とも大げさなタイトルであるが、彼の歌の歌詞を分析してみようという試みだ。なぜ彼の歌詞か?。それは彼の歌の歌詞が詩的世界観として分析に値する一貫した背景や設定を持っているからだ。

 舞台設定であるが、中途半端な都市が思い浮かぶ。それもひなびていて、街は寂れている。そして高校を卒業した若者達は故郷を捨て、街を出ていく(「Money」)。かたや新興のベッドタウンとしての街で、大学もある(「マイホームタウン」)。しかしいずれも学校で得たものは空しく、無意味に感じている。

 恋愛が何よりも大切であるが、やはり金銭には勝てない。彼女は金持ちの男に寝返ってしまう。(「Money」、「丘の上の愛」)。そして常にその敗者の位置から脱することができない。

 彼の歌詞には何かしらの不満に満ち、結局その相手は体制であり、階級社会であり、そういう意味から判断して彼の音楽はプロレタリア音楽と言えよう。しかし、そんな社会や制度に対し、尾崎豊のように反抗することはなく、ただ街を捨て逃げようとしかしない。

 彼のヒット曲の多くは80年代に発表されている。実際に作られた時期がその直前であるか、ずいぶん以前に作ったものかは分からないが、80年代において、彼の詩的世界観は既にリアル感を失い、時代遅れになっていたと思う。歌詞の内容から私が読み取れる時代設定には70年代の匂いがする。

(秀)

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