周知のように、松任谷由実の代表曲に「卒業写真」という曲がある。「革の表紙」というところからすると、卒業アルバムというタイトルの方がリアリティがあるが、それでは言葉がリズムに合わない。それと卒業アルバムと仮定してもそれは革の表紙なんかではない。革風のシボのある紙をコーティングしたものだ。布製のものもあった。少なくとも革の表紙なんかあり得ないだろう。こうしてよく考えてみると、あの歌の歌い出しは嘘ばっかりだ。けど、歌としては見事に成り立っている。
私たちの頃のアルバムの表紙となると、校名、校章、年度が金箔風の型押しで記されているだけの味気ないものだった。概して地味な色使いのものだった。ところが最近の表紙は写真が印刷されていたあり、カラフルな色使いと一転している。昨日、長男が学校からもらってきた卒業アルバムを見て発見した。
どうしてあんなに校長はでかい写真で掲載されているのだろうか?。この確率はほぼ100%だろう。有り難味も何も全くないのに。特に市立川口高校の場合は(時事ネタ)。次いで教頭の写真がそれなりの大きさで掲載されているかどうかはまちまち。また、校旗の写真が掲載されている確率も手元のサンプルでは一概に判断できないが、相当高そうだ。
前半が卒業写真で後半が卒業文集といった構成のアルバムもある。私たちの頃の卒業文集がボールペン原紙を使って、藁半紙への謄写版印刷だったことを考えると雲泥の差だ。ただ、費用は掛かるし、手作り感を楽しむことはできない。
巻末の方には決まって、在学中の社会の動きが写真と主に年表の形で加えられている。あれは写真館や印刷会社が独自に持っているわけではなく、それらの写真の許諾を得たような専門の会社が存在して、ライセンスとして掲載を許諾しているのだと私は推測している。
そして、巻末の数ページがサイン帳になっているケースも多い。住所録は個人情報保護の観点から数年前から意思を確認してからの希望制になり、昨今は全く掲載しないケースも増えてきたと思われる。
さて、悲しいことがなくて、たまには表紙を開いてみよう。そんな時期である。
(秀)