世代交代とは、一種の大きな賭けである。組織が盤石であり、個人の存在感がそれを支配するに及ばない場合は、さほどその影響はない。例えば、政治の世界なんて、このパターンである。党首・総裁が変わろうと、基本的に政党の性格は変わらない。誰が総理になろうと、我々の生活が明日から一変するようなこともない。離合集散する政党は、性格が変わっているように思えるかもしれないが、そもそも影響力がないという、基本的な我々の認知が変わっていなければ、結果、何も変わっていないに等しい。
一方、アイドルグループの世代交代は死活問題である。モーニング娘。はこれにより衰退し、その地位をAKB48に奪われてしまった。別にファンが乗り換えをしなくても、新たなファン層の供給が新たなアイドルに集められたことで、その地位は入れ替わる。そしてその危機が今、AKB48グループにも襲いかかってきているようだ。
中心メンバーの新鮮味がなくなる一方で、新たな存在感のあるメンバーが出てこない。実際には出てきている、とファンは言うかも知れないが、ファンでない者にはそんな印象などない。流行というものは、一部のファンが熱心にその現象を支持するだけでは成立せず、そのファンの周りにいる人々が、ファンの存在を許容し、認めることで成り立っている。認める、とは別に共感することではなく、そういう考えや嗜好もあるんだと、認める程度のことである。
メンバーの入れ替わりにつれ、ファンも入れ替わりつつも、一定層の支持者を形成していくが、次第にその周りの人々がその動きについていけなくなり、許容が一転し、「よく分かんない」という反応を生む。AKB総選挙の発表を見ながら、知らないメンバーが次々と出てくる。この「よく分かんない」は、ファンへの許容の気持ちが衰退していくことへと繋がる。やがて、社会全体からの関心が失われていく。社会の反応があるからマスメディアは取り上げるが、引き際は早いはず。
AKB総選挙で2位だった渡辺麻友が、順位発表後のあいさつで危機感について訴えていた。有力な先輩たちの卒業の穴を埋めるに至っていないという意味だと私は理解したが、きっと現場での反応を肌身で感じているからこそ出た言葉だと思う。ディズニーランドの魅力、それは永遠に完成しないところにある。そもそもアイドルグループなどとは、時間的スケールが違うが、常に変化をし続けることはこんなにも難しい。
(秀)