コラムのデパート 秀コラム

第1916話 ■流行語を表彰する必要があるのか?

 「新語・流行語大賞」なるものを見ながら思うこと。これは今年に限らず、数年前からそう思っている。今年の年間大賞が「神ってる」らしいのだが、そんな言葉使ったことないし、少なくとも自分の周りでそんな言葉を使っている人を見たことがない。「神対応」なる言葉すら、私としてはどうも気持ちが悪い。神としては安っぽすぎる。

 昨年の大賞語を覚えているだろうか?。「爆買い」、「トリプルスリー」だったようだ。「爆買い」の受賞者はその恩恵を受けた代表なのだろう、ラオックスの社長だった。既に爆買いの効果は消え失せ、逆に良い夢を見過ぎたのか、同社の今期実績は前年を大きく割り込んでいる。「トリプルスリー」なんて言葉、それ以前もそれ以降も、聞いていないし、使ってもいない。加えて言うと、お笑い芸人のギャグがこの賞(大賞でなくても)を受賞すると、急に売れなくなる。「安心して下さい、穿いてますよ。」、「ダメよ~ダメダメ」。

 受賞者の選定もおかしい。「盛り土」:受賞者辞退、「ゲス不倫」:週刊文春編集部、「保育園落ちた日本死ね」:山尾志桜里衆議院議員(民進党)。「保育園~」はブログに登場した言葉であって、それを国会審議で取り上げたという理由でその人を表彰する妥当性がわからない。手柄の横取りである。へらへらと笑いながら、登壇して浮かれている受賞者の顔を見て、「お前が、○ね!(自粛により伏せ字)、だろう」と思った人もいるのではなかろうか?。「ゲス不倫」も当事者を表彰しないと意味がない。出てこないだろうが。

 そもそもは「現代用語の基礎知識」という、年刊の百科事典のような書籍がやっていた。「現代用語~」に注目を集め、売るための企画だったはずだ。「現代用語~」やこれに類するものは、インターネットの普及により、特にWikipediaによって代わられ、衰退の一途。そしていつの間にか、このイベントはユーキャンが運営するようになっていた。もはや本来の目的を失い、ユーキャンが主催する意味すらよくわからない。

 そもそも流行語を表彰する必要があるのだろうか?。また、審査員なる主観で決める方法が正しいのだろうか?。例えば検索エンジンで検索回数の多い言葉、SNSなどで投稿された回数が多い言葉。逆に、閲覧されたサイトで使用されている言葉、などを集計する方が公正な流行語だと言える。言葉は時代を映す鏡の一つである。年によってその出現数は違うだろうし、強弱も違う。毎年一定数の流行語を無理してまで選ぶやり方に周囲は白けてしまっている。

(秀)

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