「好みのタイプは?」という、答に窮する質問がこの世には存在する。「どんな人が好きですか?」というのも同じこと。「好きになった人が好みの人」と答えるしかない。しかし、この答が必ずしも正しくないことを私は知っている。冒頭のような質問をする人は具体的な答を求めている。例えば、「髪の長さ」。そんなものはどうにでもなることにも関わらず、「長いのが良いか?、短いのが良いか?」などを気にしている。仮に20個のチェック項目が存在したとしよう。そのうち、15個以上をクリアした場合が「好みのタイプ」だと定義しても、それはほとんど意味を持たない。そんなことにこだわる人は恋人紹介所でコンピュータにでも相手を選んでもらえば良い。
所詮、コンピュータはデジタル化された情報からの検索しかできない。数学で習った「集合」の概念を思い出してみよう。集合とは「要素が明確な集まり」ということになっている。明確であることが重要である。「優しい」なんて条件を挙げる人は多いが、そんな条件でデジタルに人を判断することはできない。
それでも好みのタイプは存在する。表現は難しいけれども、パーツというよりも全体として、結果として、そうであることが多い。自分の記憶をたどると小学生の頃、同じクラスの女の子の2つ歳上のお姉さんがそうであった。それから何度も好みのタイプの人を見掛けたが、その女性は向い側の電車の中にいたり、対向車線の助手席に座っていたりする。