渋谷公会堂という名前は田舎に住んでいた私でも子供の頃から知っていた。この他にも渋谷と言えばNHKが思い付く。同様に赤坂と言えばTBS、有楽町と言えばニッポン放送(当時)であった。いずれも番組で葉書の宛て先として登場してきたり、渋谷公会堂にいたっては番組の会場のテロップとして記憶している。もちろん、新宿と言えばアルタであった。
今回話題にしたい「紅白歌のベストテン」は毎週月曜日の8時から、渋谷公会堂から生放送されていた。会場には修学旅行の中学生や高校生が招待され、番組の冒頭で紹介されていた。正直うらやましかった。司会は白組キャプテン堺正章、赤組キャプテン岡崎友紀(初代は水前寺清子、その後、岡崎友紀、大場久美子、榊原郁恵)で、「それでは、そろそろ参りましょうか。紅白歌のベストテン」というタイトルコールで始まる。趣向としてはNHK紅白歌合戦を簡素化しただけに思える。番組の中でネット局のラジオ番組のランキングは紹介するものの、番組のゲストとなるとベストテンとは名ばかりで単に紅白それぞれ5名ずつが順に歌うだけであった。ただ、1時間の内に10曲というのは相当のボリューム感であった(ザ・ベストテンは欠席者がいて、10曲という事はまずない)。
番組の中でレギュラー枠ではないものの、ゲストが「ウソ発見機」に掛けられるコーナーがあった。ステージの中央に仰々しい椅子が設置され、椅子の背後に孔雀の羽を開いたような電飾があり、感情の変化などに応じてこの電飾が点灯する仕掛けであったが、今になって思えばこの仕掛けはインチキだったような気がしてならない。何故ならこのゲストに質問をする「ミスターコンピュータ」と呼ばれる声の主が当時同局アナウンサーの小林完吾氏だったからである。コンピュータと言っておきながら、アナウンサーが喋っているぐらいなのだから、あの電飾はステージの袖でスタッフがスイッチをいじっていたんではないかと思う。このコーナーの途中、感極まって涙を見せるゲストもいた。
番組の最後はテレフォンオペレータが各ネット局毎に選出されている視聴者審査員に電話をして、視聴者の意見で紅白の勝敗を決める。勝った方のキャプテンは優勝カップを受け取り、はしゃぎ回り、ゲストがその周りでバンザイをやるお約束であったが、こんなことを毎週やっていたかと思うと、ちょっと引けてしまう。通算勝敗は白組の優勢であった。視聴者審査員には番組のスポンサーからシャンプーとリンスがセットで1年分だか、半年分だかが送られていたが、子供心にこの1年分だか、半年分だかがいったいどれくらいの分量なのか随分気になった。
番組の方は随分と長く続いたと記憶しているが、ザ・ベストテンの登場により、視聴者の嗜好がランキングに移ったらしく、番組はその後「ザ・トップテン」へと衣替えした。ベストテンの次はトップテンの話と思っていたあなた、残念でした。その話は明日。
(秀)