コラムのデパート 秀コラム

第480話 ■メルマガの可能性

 随分以前、産経新聞からメルマガの件で取材を受けた話(第397話「新聞取材を受ける」)を書いたが、その後何のフォローも書いていなかったので、今回はその話を書こうと思う。新聞には確かにその週末に首都圏限定で記事が掲載され、私が電車の中でコラムを書いている後ろ姿の写真も載っていた。しかし、記事の中には約1時間掛かって喋ったことがほとんど載っていないし、要はメルマガ発行者であれば取材相手は誰だって良かったような記事に仕上がっていた。

 記者の頭の中ではあらかじめ記事として書きたいことが決まっていたようで、それに従った質問の部分しか記事になっていなかった。その中の1つに「プロ(の物書き)になりたいですか?」という質問があって、私は迷わず、「ノー」と答えた。このことが先方の期待に沿わなかった様だ。本当は「プロを目指しています」という答を期待していたのだろう。相手の頭の中では「プロを目指す=高尚」、「プロを目指さない=素人の道楽」とでも思っているようで、記事の文面からその雰囲気が伝わってきた。「他に面白いことができれば、いつでもやめる。手軽にできるのがいいところ」という新聞に載った私の発言を読めば、読者もきっとそう思うに違いない。確かにそういう発言はしたが、記事の前後関係から、私がいい加減な気持ちでメルマガをやっているように読めてしまう。

 私がプロを目指さない理由として、「サラリーマンの視点からコラムを書いているので、そのためにはサラリーマンでなくてはならない」と答えたが、本音はそんなことではない。記者はメルマガがプロの物書きへの登竜門となり得ているかを取材したかった様な気がする。中にはプロを目指して、メルマガを続けている人もいることだろう。しかし、仕事を捨てて、いや、正しくは現在の収入を捨ててまで、それができる人がどのくらいいるだろうか?。私の場合は扶養家族を抱えた状態で、今の生活基盤をなくしてまでプロを目指すなど、あまりにも無謀でしかない。今の収入を物書きとして得るのはかなり難しい話である。

 メルマガが物書きへの道の1つとして機能し、より手軽に作品が発表できる媒体として存在することは事実であるが、単にホームページの延長としてメルマガを発行している人の割合がプロを目指している人よりも多いはずだ。また、目指す、目指さないは勝手であるが、すそ野が広がったことで、インターネット作家が玉石混淆であることも事実である。もちろん、目指すだけでプロになれるもんでもない。

(秀)

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