映画「東京物語」には冗長的な部分がない。くどいような説明のシーンはなく、今見てもじれったく感じることなく、各シーンがテンポ良く切り替わる。そして、細かな演出も見られる。上京してきた父(笠 智衆)が息子(山村 聰)に昔近所に住んでいた人が東京にいるので、訪ねてみたいと言うシーンがある。そのとき父は住所を「ダイトウク」と読む。普通に「タイトウク」と読ませれば良いものをわざわざそう読ませる。一方、息子はそれを訂正しようとはしない。訂正させるくらいなら、わざわざ間違って言わせる必要などない、ということだろう。
私は今回、それが台東区でなくてはならない必然性を発見した。中野や杉並では容易く読めてしまう。読めないところに東京との距離感を表現したかったのではなかろうか。また、老夫婦が滞在したところが、山の手ではなく、下町であったがために、父が一人でこの友人を訪ねさせる設定から、下町の台東区である必要があったと思う。同じ下町でも荒川区は易しすぎ、葛飾は逆に難しすぎて、毎年年賀状を書くからにはなんと読むか事前に調べているであろう。台東区は文字がやさしい分、誤読の可能性が高くなる。
一方、上京中の老夫婦の滞在先が下町であることについてである。この映画にはナレーション、登場人物の心の声など一切ない。予備知識がないと、最初、原 節子が次男の嫁であることなども分からないほどだ。よって、滞在先の住所がどこであるかを具体的に明示するシーンは登場しない。唯一の手掛かりは四本の煙突。長女しげ、の家が登場するシーンの前に数回この四本の煙突が登場する。最初この映画を見たときに私はこの意味を理解していなかった。と言うか、そんな煙突シーンなど記憶すらしていなかった。これは昔、千住(東京都足立区)にあった火力発電所の煙突だ。この四本の煙突は見る位置によって、一本から四本に見えたりするので、「おばけ煙突」と呼ばれていて親しまれていたそうだが、昭和39年に廃止されている。
当時このおばけ煙突がどれほど全国的に有名なものだったのか、残念ながら知る由もない。ほんの数秒しか映らない、この煙突シーンが「千住ですよ」という場所を明示するメッセージとしてうまく機能したのだろうか?。そういう意味で、この映画は翻訳され、海外でも高い評価を受けているようだが、そのタイトル通り、東京ローカルな映画だということになる。「こういうところもちゃんと見てくれよ」、という監督からのメッセージなのだろうか?。煙突からはもくもくと煙が出ている。長女のしげが老夫婦を煙たがっているという暗示だとしたら、ちょっといやらしい気もするが。
<次話につづく>
(秀)