コラムのデパート 秀コラム

第823話 ■テレビの「異人」たち

 偉人ではない。異人である。いや、「異人」である。よって、テレビを開発した高柳博士を賞賛する話ではなく、ケントギルバートやケントデリカットといった(かつての)外国人タレントの話でもないため、括弧付きで「異人」(以下、面倒なので括弧省略)とした。要はテレビに出ている(出ていた)変な人の話である。

 大屋政子、野村紗知代、鈴木その子、デヴィ夫人、叶姉妹、和泉節子(元彌の母)。時間を掛けて思い出せば、この他にももっと多くの異人たちを見つけられると思うが、それが本稿の目的ではないので、この辺で良いだろう。あんまり真剣に考え挙げていくと今度は白黒はっきりしない、グレーな人々が出てきて、そのテンポが急に悪くなってしまいがちだ。

 そこで何をもって「変」と決めるかであるが、私はメディアに出る根拠だと、それを定義したい。「その人が何者であるか?」、それ自体が分からない場合ももちろんある。カテゴリーやその人のポジションが分からない場合がそうだ。しかし私がここで重要視したいのは、「メディアに出る根拠が何か?」である。明らかに一芸に秀でたものを持っている存在ではない人々、それが異人たちである。

 ちょっとチヤホヤして持ち上げておいて、あるタイミングでバッシングの格好の餌食にされてしまう。例えば脱税、その他スキャンダル。所詮、異人たちはそんな、いじられる対象でしかないのだが、いじられている最中は自分が人気者であるかの錯覚をしてそれどころではないのだろう。

 異人たちがブラウン管から消えても視聴者には何の影響もない。またすぐに次に異人たちが現れるから。いや、そもそもそんな人々はメディアの世界には不要な存在でしかない。ただそれを必要としているのはいじり倒したいマスコミだけ。被害者はこの異人たちであろうか、それとも、それをおもしろいと思わされ、見ることを押し付けられている視聴者なのだろうか?。

(秀)

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