コラムのデパート 秀コラム

第845話 ■日朝首脳会談について

 外交問題に感情を持ち込むべきではない。日朝首脳会談で小泉総理は良くやったと思う。確かに拉致事件で死亡が確認された家族の方々には本当にお気の毒としか言い様がない。しかし、結果は結果として、北朝鮮が拉致の事実を認め、それに謝罪するなど大方は予想できていなかったのではなかろうか。拉致問題以外にも不審船問題やミサイル発射問題などでも北朝鮮は今回誠意ある回答を示したと思う。

 死亡が確認された拉致被害者家族の方々には本当にお気の毒としか言い様がない。テレビで語りかける言葉はどれも当事者としてはもっともなことである。しかし、報道は余りにも感情論に入りすぎてしまっている。身内の死が確認された家族をテレビカメラの前に並べて会見を開かせる必要があったとは私には思えない。本当はカメラなど気にせずに、身内で寄り添って泣きたかっただろうし、「ほっといてくれ」と思っただろう。ドキュメントとして家族の人々の朝からの表情を追い掛けていたが、朝の期待に満ちた顔と夕方のそれとの落差があまりにも痛々しい。今となってわざわざこんな映像を流さなくても、と思う。それに直前まで楽観的な見込み情報を流していたマスコミの責任も重たいと思う。「有本さんら3人一時帰国」と報じていた夕刊タブロイド紙があった。

 身内の死が確認された人の口から出る言葉は感情的なものでしかない。それは仕方のないことだ。しかし、それをテレビで垂れ流すのが報道だとは思えない。「いつどこでどんな死に方をしたのか教えてもらえないのは不満」として、小泉総理の国交正常化交渉へのサインを批判する声を挙げていた。また、それに同調する視聴者の声をテロップとして画面に表示している民放テレビ局もあった。しかし、例え、いつどこでどんな死に方をしたのか教えられたとしても、今度は「どうしてもっと早く解決できなかったのか?」等という主張に変わるだけであろう。どんな説明をされてもやはり納得いくものではなく、ただ、身内の死という事実(と今は思うしかない)だけは拭えない。それと、死亡をあたかも北朝鮮による殺害と決め付けているように聞こえてくる部分も気になった。

 拉致事件は許されるものではなく、不審船騒ぎや核ミサイル疑惑もそうである。一方で、我々は親や祖父母たちの時代に日本(政府・国民)が当時の朝鮮人民にどれほどの苦痛を与えたかを忘れてはならない。そして、その過去を清算するためにも、国交正常化を目指して交渉を再開しようという両国首脳の動きはもっと正当に評価されて良いと私は思う。

(秀)

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