いろいろと懐かしい話を思い出し、それをまとめたり、整理したりしようとすると自然と時間は遡り、気がつくと自分が生まれる前の頃にまで遡ってしまうときがある。例えば映画「社長シリーズ」、クレイジーキャッツ、小津作品。たまたま見てはまってしまうと当然の如く、自分の生まれる前の話。いろいろとその雰囲気までも楽しもうとすれば、そのときどきの世相なども理解しなければならない。いや、そうしないと気がすまない。
一方、幼い頃の記憶を遡って、それがリアルタイムに見たものかどうだか曖昧で判断がつかない点が出てくる。ひょっとしたら、「再放送かな?」と。そんなわけでトニー谷が気になった。ダテ眼鏡にヒゲ、ソロバンを片手に英語混じりのキザな言葉を発し人を小馬鹿にした語り口調で一世を風靡したあのボードヴィリアンのことを。「あなたのお名前なんてぇの?」というフレーズを覚えている。これは「アベック歌合戦」でのフレーズ。本によると、この番組は最初ラジオで放送され、その後テレビ放送に。その後「スターと飛び出せ歌合戦」という名前に変わって昭和45年に放送を終わる。私にとってはリアルタイムに見ていて記憶していてもおかしくない程度の頃だ。既にテレビが我が家にあったのは覚えている。カラーテレビに買い換えた頃だったような。
しかし、本当にリアルタイムで彼の芸を見たのかどうかよく分からない。手にしていたのはソロバンではなく、拍子木で、それを叩きながら、「あなたのお名前なんてぇの?」、「そちらの彼女はなんてぇの?」、ってやっていた。しかし、本によるとこの頃のトニー谷は既に全盛期ではなく、そもそもの全盛期は昭和30年までらしかった。このときに長男が誘拐される事件が起き、それを機に一線を退いてしまう。と言うか、干されてしまう。世の中は誘拐事件の際にも彼に同情するよりも、弱みを見せた彼を追い落とす。
それでも何とか数年後に「アベック歌合戦」で見事に復活を果たした。「ざんす」というキザな言葉は実はおそ松くんのイヤミの方で私は馴染んでいる。あのイヤミのモデルはトニー谷だったらしい。長らく彼の姿を目にすることはなかったが、名前と例のフレーズはずっと覚えていた。そして、彼の名前を次に活字で見たのは彼の死亡記事だった。昭和62年7月。私がローカル紙で見た彼の死亡記事は石原裕次郎の死亡記事と同じ日(死亡した日は1日違い)に載ったために、その扱いは極めて小さかった。
誰もが知っていながら、素性を知る人は誰もいなかった。占領下だったから受けたのか「トニー・イングリッシュ」。その不思議さが私には面白い。彼はいったいなんだったのか?。最近の私の関心はここにある。
(秀)