印刷技術というのは、子供にとってとても魅力的なものの一つである。自分が書いた文字や絵が次々と同じ形のままで繰り出されるのは圧巻である。幼稚園のとき、教室で先生が鉄筆でガリガリとガリを切っていた。「先生、何しているの?」と聞くと、「プリントを作っている」と答える。数時間後に帰るときにそのプリントが手渡された。漢字は読めないが、紛れもなく、ガリガリとさっき先生がやっていたものだ。「ああやって、ガリガリしたものが印刷されるんだ」、と分かった。
小学校も低学年までは例のガリ切り、ガリ版原紙での印刷だった。それが高学年になった頃から、ボールペン原紙になった。仰々しい、ヤスリの付いた下敷きや鉄筆も不要。普通の下敷きとボールペンさえあれば印刷原稿ができる。これにより、かつては壁新聞スタイルの学級新聞も5年生からボールペン原紙を使用した輪転機による印刷媒体に飛躍した。クラス全員に手渡される。もちろん、私はずっと新聞係をやった。間違った箇所には修正液を塗って、そおっと、息を吹いてみる。さっきボールペンで穴をあけた部分がふさがる。6年生の時の卒業文集もこのボールペン原紙を使用して作った。
やがて中学生になった頃には新たに光によって原紙を穿孔させる仕組みが登場していた。黒鉛に反応するようで、鉛筆で書いたものか、複写機でコピーしたものを下原稿にし、光を当てて印刷原稿を作る。イラストなどを鉛筆で書いたり、他の媒体から切り取ったものを使用したりと、文字だけでなく表現力が格段に豊かになった。やがて大学に入った頃に複写機が身近なものとなり、あらゆるものが複写できる(白黒だけど)機械は重宝した。
そしてワープロを使うようになって、印刷媒体はより身近になり、しかも活字使用という技術まで同時に手に入れた。活字になってみると、自分の文章も立派に見えてくるから不思議だ。そしてインターネット。自分が書いた(うった)文章などが電子的に画面表示され、あるときは印刷される。その魅力はかつてのガリ版やボールペン原紙での輪転機による印刷と根本は同じような気がする。
(秀)