今年は忠臣蔵イヤーである。特別に今年が討ち入りから何周年というわけではないが、大河ドラマで「元禄繚乱」が放送されるからには忠臣蔵イヤーなのである。そのせいでもないが、関連本が多く出ているのは事実で、本棚を見返してみると、私もこの1年で6冊の忠臣蔵本を読んでいた。ご存知「忠臣蔵」を支える2大ストーリーは「刃傷松の廊下」と「吉良邸への討入り」である。しかし、これだけでは話の全体像は見えてこない。義士達の周辺ばかり見ていても全体は見えてこないのである。それは、元禄がどんな時代であったか、将軍綱吉や老中柳沢吉保がどのような性格で、どのような政策を取っていたかを知る必要がありそうだ。
実際にこれらを解説し始めると本が書けるぐらいの規模になるし、既に世の中には数多くの解説本が出ているため、そちらに譲るとしよう。ここでは最近になって私が気づいたことを紹介しよう。まず、何故「忠臣蔵」と言うのか?、ということについて。忠臣については説明が不要であろう。問題は蔵である。1つ目の理由は内蔵助の「蔵」から取ったというもの。2つ目は忠臣を集めた話でそれを蔵に見立てたというもの。「Packege of 忠臣」ということだろう。これらのダブルミーニングらしい。それと、最近知ったもう1つのこと。芝居で演じられ大ヒットした「仮名手本忠臣蔵」は音読すると「かなでほん・・・」である。当時は漢字が読めない人が多く、ひらがな書きの本を出したのかな、と思っていたが、読みは「かな」であるが、意味は仮名(かめい)であった。幕府の監視の目を潜り抜けるため、時代設定を鎌倉時代にし、登場人物を別の名前でフィクションを装ったのだ。もちろん、いろはの文字数(「ん」は除く)と47人を掛けたものという意味もある。
それにしても世間には忠臣蔵ファンが多い。私もその一人で12月となるとクリスマスよりも忠臣蔵の方にわくわくしてしまう。シャボン玉ホリデーでもこの季節になると討ち入りのパロディーコントが流れていた(らしい)。ストーリーも知り尽くしている話なのに多くの人々を惹きつけるのはこれ以外に例がないだろう。その点の秘密あたりを考えていくとして、しばらく忠臣蔵話につきあって貰うとしよう。