コラムのデパート 秀コラム

第197話 ■「8時だョ!全員集合」の記憶

 ザ・ドリフターズが最近ブームになっている、という話を聞いた。どうも自分には実感出来ない。なにやら、昔のビデオのギャグが若者に受けているらしい。中には「あれ?。志村けんがいない」、「この人(荒井注のことね)、誰?」と言う人までいるらしい。このコラムの読者の中にも、そこまではいかなくても、その当時をリアルタイムに体験していない人がいるかもしれない。実は加藤茶がメンバーに入る前から、いや、いかりや長介がリーダーになる前からザ・ドリフターズは存在した。そして、、いかりやを除いた他のメンバーが最初からドリフターズではなかったことを私も最近知った。

 本屋で「8時だョ!全員集合 伝説」という本があったので、買い求めた。当時のプロデューサーが書いたもので、私はこの本であることを確認しようと思ったのが購入の動機である。そのあることの一つ目は「8時だヨ!全員集合」が一旦終わり、この間にクレイジーキャッツが「8時だヨ!出発進行」という番組をやっていたが、これがいつ頃のことで、その間がどれぐらいであったかを確認したかった。意外とこの事実を知る人は少ないかもしれない。キャリアの面で言えば、ドリフターズは同じ渡辺プロダクションのクレイジーキャッツの弟分にあたる。映画では「無責任シリーズ」から一連の作品全30作。テレビでは「おとなの漫画」から「植木等ショー」(この辺はさすがに見ていない)や「シャボン玉ホリデー」と、クレイジーキャッツが当世きってのコメディアンであったことは間違いない。しかし、「全員集合」を始めてのドリフターズはクレイジーキャッツをしのいで、まだおつりが来るほどの勢いであった。

 ここで、資料を元にちょっと整理してみよう。まず、「全員集合」の放送開始は昭和44年のことで、番組終了は昭和60年のことであった。放送回数は803回。当初はコント55号(フジテレビ「世界は笑う!」)がライバルであったが、これを撃ち負かし、欽ドンの攻撃にも耐えたが、ひょうきん族にやられた、といった感じの歴史である。気になる「出発進行」は昭和46年の4月から半年間放送されたことが確認出来た。正直、「出発進行」は子供にはよく分からない内容だった。中身もよく覚えていない。この間、ドリフは日曜日の日本テレビで「日曜日だヨ!ドリフターズ!!」という番組をやっていたようだが、あいにく私の記憶にはとどまっていない。

 そして、調べたかったことの2点目は「ジャンボマックス」が出ていたのがいつ頃だったかということであった。身長3メートルのハリボテ人形の彼はコーナーのオチの時などにステージのそでから出て来て愛敬を振りまいていた。私の記憶では昭和51、2年のことだと思う。調べた結果は不明。この本にもあいにく記述がなかった。継続して調べることにして、今回書けなかった話題とともに、「全員集合」ネタをまた書くとしよう。

 ババンバ、バンバンバン。「コラム読めよ。また明日」。

参考書籍:「8時だョ!全員集合 伝説」

居作昌果:著 (株)双葉社

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