コラムのデパート 秀コラム

第2053話 ■寄付の上前をはねる

 メディアとかで、ボランティア活動のための費用を「クラウドファンディング」で募集している、などという情報に接することがある。活動の内容が高尚で、善意のための募金かのようなイメージを受けるが、果たしてその認識は正しいのだろうか?。クラウドファンディングとは、ボランティアや起業のための費用を広くインターネットを通じて募集する仕組み、スキームのことである。

 調べるといろいろなプロジェクトが資金を求めている。大きく分けると、ボランティア等の活動のための「善意」のものと、起業などで自分のやりたいことを目指すための「やりがい」というのがあると私は思った。私がこの原稿を書こうと思ったのは、この仕組みを仲介する会社の存在とそのスキームについて疑問が生じたからだ。資金を求めている趣旨に賛同し、いざそのファンディングに応じるとしよう。差し出す予定の金額のうち、いったいどれほどが最終的にその資金を求めている人に届くのだろう?。

 3・11の大地震の後、街に募金を求める人を多く目にした。自分たちがお金を集めて、現地に届けようというものだ。そんな中、ある政党(の支部?)が募金の一部を自分たちの活動資金にしているとわかって問題になった。そのような趣旨であることは示していたらしいが、多くの人はそのようなことに気づいていない。善意にタダ乗りした行為は非難され、その結果、集まった金は全額寄付に回されたと記憶している。一方で、誰がやっているか怪しそうな団体での募金も出ているとの噂があった。

 さて、クラウドファンディングのスキーム(仕組み)であるが、代表的なものは、目標額を設定し、そこに集まった金額が満たない場合は、1円も手にすることはできず、それまで集まった(集まる予定だった)金額は出資者に返還される。うまく目標を達成できた際には、クレジットカードを使用した場合に諸々を含めた手数料が20パーセント弱掛かる。差し出した金額の十数パーセントが募集者には届かないことになる。この部分が丸々、ファンディング会社の取り分ではなく、カード決済のための手数料などの経費があるだろうが、この金額をみなさんはどう思うだろうか?。

 クラウドというまさに雲のような見えない存在のため、このあたりが特に出資者に対して認知されていない。ネット経由で目に見えないから許せそうだが、募金をしようとしている横から、「手数料です」と言って手数料を持って行くのを見たらどう思う?。ECサイト等での決済手数料等はその分荒利を喰ってしまうため、十数パーセントではほぼ商売が成り立たないし、経営的視点で言えば、そもそもそのようなレベルでは採用されない。もし、スタートアップの資金を自前で借金してでも準備するにも、このような利率(年利率ではないけど)では躊躇してしまうはずだ。

 それに対して、クラウドファンディングを求めているようなケースでは、定常的な事業活動としての視点が弱いのか、そもそもゼロだったところから、自分が事業として手にする金額からの支出ではないため、この手数料をそれほど気にしていないのか?。出資者に対する感謝の気持ちの一方で、高い手数料(=自分には届いていない金額分)の負担への詫びの気持ちはあるだろうか?。受け取った金額は、営業外収益として、正しく税務処理されているのか?。

 クラウンドファンディングという言葉で飾られた、美談として語られる雰囲気が私は非常に気になる。寄付の上前が(こっそりと)はねられている。聞くと知るとでは大違い。目標金額未達では、1円も手にすることができないので、募集者は頑張り、その上前をはねる。ある意味、やりがい搾取なんだと思う。

(秀)

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